校長室より

平和への願いを胸に(校長室より No.52)

2024年のノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた「日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会」が受賞しました。
核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が二度と使用されてはならないことを、証言によって示してきたことが受賞理由です。
日本のノーベル平和賞受賞は、1974年の佐藤栄作元総理大臣以来、50年ぶりとなります。
日本被団協は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、原爆投下から11年後の1956年に結成され、それから68年間にわたり、被爆者の立場から核兵器廃絶を世界に訴える活動や被爆者の援護を国に求める運動を続けてきました。
昨日、ノルウェーの首都オスロで授賞式が行われ、代表の田中熙巳さんが記念講演を行いました。
私も報道により講演全体を視聴しましたが、田中さん自身の壮絶な被爆体験はもとより、以下の言葉が特に心に残りました。
「想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。」
「原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しています。」

この言葉を聞いて私は、紛争地で取材を続け、シリアで銃撃され命を落としたジャーナリストの山本美香さんが、子供向けの著書「戦争を取材する」の中で述べている内容に思いが至りました。
一部を抜粋します。


戦場では兵士だけでなく、みんなと同じ子どもたちも命を失います。
戦場では、大人だけでなく、みんなと同じ子どもたちも戦います。
戦場の子どもたちは、自分たちが大人になったとき、もう二度と戦争がおきないようにと願いながらくらしています。
そして、無知であることが、戦争への引き金になると知った彼らは、医者をめざし、法律家をめざし、電気、土木、農業などのエンジニア(技術者)をめざして学びつづけています。
国の未来をつくるのは自分たちの世代だとわかっているからです。
ちがっていることは壁でも障害でもありません。
人間はひとりひとりちがっているからこそ、豊かな関係を築いていけるのです。
だれもがちがいを学び、相手の気持ちを考え、他人を理解しようと努めることで、おたがいの価値観のちがいを乗りこえることができるのではないでしょうか。
平和な世界は、たゆまぬ努力をつづけなければ、あっという間に失われます。
私たち大人は、平和な社会を維持し、できるだけ広げていけるように道をつくります。
そして、これから先、平和な国づくりを実行していくのは、いま十代のみんなです。
世界は戦争ばかり、と悲観している時間はありません。
この瞬間にもまたひとつ、またふたつ… 大切な命がうばわれているかもしれない――目をつぶってそんなことを想像してみてください。
さあ、みんなの出番です。


核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!
(田中熙巳さんの受賞記念講演の最後の言葉です。)