校長室より

校長室より

平和への願いを胸に(校長室より No.52)

2024年のノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた「日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会」が受賞しました。
核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が二度と使用されてはならないことを、証言によって示してきたことが受賞理由です。
日本のノーベル平和賞受賞は、1974年の佐藤栄作元総理大臣以来、50年ぶりとなります。
日本被団協は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、原爆投下から11年後の1956年に結成され、それから68年間にわたり、被爆者の立場から核兵器廃絶を世界に訴える活動や被爆者の援護を国に求める運動を続けてきました。
昨日、ノルウェーの首都オスロで授賞式が行われ、代表の田中熙巳さんが記念講演を行いました。
私も報道により講演全体を視聴しましたが、田中さん自身の壮絶な被爆体験はもとより、以下の言葉が特に心に残りました。
「想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。」
「原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しています。」

この言葉を聞いて私は、紛争地で取材を続け、シリアで銃撃され命を落としたジャーナリストの山本美香さんが、子供向けの著書「戦争を取材する」の中で述べている内容に思いが至りました。
一部を抜粋します。


戦場では兵士だけでなく、みんなと同じ子どもたちも命を失います。
戦場では、大人だけでなく、みんなと同じ子どもたちも戦います。
戦場の子どもたちは、自分たちが大人になったとき、もう二度と戦争がおきないようにと願いながらくらしています。
そして、無知であることが、戦争への引き金になると知った彼らは、医者をめざし、法律家をめざし、電気、土木、農業などのエンジニア(技術者)をめざして学びつづけています。
国の未来をつくるのは自分たちの世代だとわかっているからです。
ちがっていることは壁でも障害でもありません。
人間はひとりひとりちがっているからこそ、豊かな関係を築いていけるのです。
だれもがちがいを学び、相手の気持ちを考え、他人を理解しようと努めることで、おたがいの価値観のちがいを乗りこえることができるのではないでしょうか。
平和な世界は、たゆまぬ努力をつづけなければ、あっという間に失われます。
私たち大人は、平和な社会を維持し、できるだけ広げていけるように道をつくります。
そして、これから先、平和な国づくりを実行していくのは、いま十代のみんなです。
世界は戦争ばかり、と悲観している時間はありません。
この瞬間にもまたひとつ、またふたつ… 大切な命がうばわれているかもしれない――目をつぶってそんなことを想像してみてください。
さあ、みんなの出番です。


核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!
(田中熙巳さんの受賞記念講演の最後の言葉です。)

「誰か」のことじゃない。(校長室より No.51)

今週、11月27日(水)にオンライン配信で全校朝会を実施しました。
前半は賞状伝達でしたが、県ナンバーワンとなったサッカー部や吹奏楽部など多くの部活動や個人に賞状の伝達を行いました。
生徒の不断の努力が実を結び、成果となって表れたことを本当にうれしく思います。

後半の校長講話では、12月4日から始まる人権週間に合わせて、様々な人権問題の中から「ハンセン病患者及び元患者」の問題を取り上げて話をする予定でしたが、時間の都合で一部しか紹介できませんでした。
今後、学級活動等の時間に担任を通して、「ハンセン病患者及び元患者」についての理解を深めてもらうこととしました。
予定していた話の内容は以下のとおりです。


来月12月4日(水)から10日(火)までの1週間は、人権週間である。
今から70年以上前の1948年(昭和23年)12月10日の国連総会で、「すべての人間は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利とについて平等であること」などを示した「世界人権宣言」が採択された。
そのことを記念して、日本では12月10日を最終日とする1週間を人権週間と定め、人権尊重思想の普及高揚に努めてきた。

人権を分かりやすく言うと、「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」、「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持つ権利」のことである。
人権とは人間が生まれながらに持っているの当たり前の権利である。
では、果たして全ての人々の人権は守られているのだろうか。
残念ながら、世界人権宣言宣言が採択されてから70年以上が経過した現在も依然として多くの人権問題があり、偏見や差別に苦しんでいる人が大勢いる。
今回は、様々な人権問題の中から「ハンセン病患者及び元患者」の問題を取り上げる。

【ハンセン病について】
ハンセン病は、らい菌という細菌による感染症で、治療法がなかった時代には、病気の進行により運動麻痺や知覚麻痺、視覚障害、体の一部の変形などの症状が出ることがあった。
しかし、現在では治療法も確立し、早期発見と適切な治療により後遺症も残らない。
【ハンセン病への偏見や差別】
医療や病気への理解が乏しい時代には、その外見や感染への恐怖心などから、ハンセン病患者への過剰な偏見や差別があった。
しかし、現在でも、ハンセン病に対する正しい知識と理解はいまだ十分とはいえない状況にあり、ハンセン病の患者・元患者やその家族が、周囲の人々の誤った知識や偏見等によって、日常生活、職場、医療現場等で差別やプライバシー侵害等を受ける問題が起きている。
【ハンセン病の悲しい歴史】
19世紀後半、ハンセン病はコレラやペストなどと同じようにとても恐ろしい伝染病であると考えられていた。
そんな中、1931年(昭和6年)に全てのハンセン病患者の隔離を目指した「癩(らい)予防法」が成立し、国を挙げての隔離政策が進めらた。
いったん療養所に入所すると一生そこから出られないだけでなく、亡くなったあとの遺骨すらも実家のお墓に入ることがかなわず、療養所の納骨堂に納められた。
また、患者同士での結婚は許されていたが、子供が産めないよう強制的に手術を受けさせられた。
その後、医学の発展に伴い1946年(昭和21年)には特効薬も完成し、ハンセン病は治る病気となったにも関わらず、1953年(昭和28年)に新たな「らい予防法」が定められ、患者の強制収容が続けられた。
国の誤った強制隔離政策である「らい予防法」は、1996年にようやく廃止された。
しかし、療養所から自由に出られるようになっても、入所時に家族に迷惑が及ぶことを心配して本名や戸籍を捨てたことや、根強く残る偏見や差別などにより、故郷に帰れない人が数多くいる。
国も過ちを認め、2001年には当時の小泉首相が患者・元患者に対して、2019年の7月には故・安倍元首相が患者・元患者の家族に対して、それぞれ首相談話の形で深い反省の意を表し、補償や名誉回復を約束した。

私自身、10年以上前にハンセン病の国立療養所「多磨全生園」を訪れる機会があった。
その時に入所者の方々が涙ながらに語られた家族や故郷への思いは、今でも忘れることができない。
別れ際に入所者の方が差し出された手は、病気の後遺症で変形していた。
その手を握り返しながら、自分の心の弱さを実感した。
絶対に移らないと分かっているのに、怖さを感じてしまったのだ。
本当に情けないと自分を恥じると同時に、人間の心の弱さを改めて感じた。

人権は、だれにとっても身近で大切なものであり、必ず守られるべきものである。
しかし、私たちの心の中には、自分とは違う一面を持つ人を差別する気持ちが入り込んでくることがある。
その弱い気持ちに負けないためには、人権感覚を磨き続けなければならない。
自分の心に偏見の芽はないか、みんなと違うという理由だけで排除や差別をしていないか、弱い立場の人をいじめていないかなど、常に自分自身を厳しく見つめることが大切である。
これは、中学生である皆だけでなく、我々大人も同じである。

世界大戦など20世紀までの反省の上に立ち、21世紀を全ての人の人権が尊重され、幸福が実現する時代にしたいとの願いを込めて「21世紀は『人権の世紀』である」とされてきた。
しかし、国家間の戦争や繰り返されるテロ、未だに解決されない様々な人権問題など、人権の世紀が実現したとは言い難い現状がある。
我々大人はもちろん、これから21世紀を支えていく皆も一緒になって人権感覚を磨き、21世紀を全ての人の人権が尊重され、幸福が実現する時代にしていこう。


 12月4日から始まる「第76回人権週間」
今年もテーマは「『誰か』のことじゃない。」です。
「ハンセン病患者及び元患者」の問題をはじめ、様々な人権問題を同和問題や子供、障害者、LGBTQなどの様々な人権問題を「誰か」のことではなく「自分事」として捉えることが、何よりも大切です。
「人権の世紀」の実現に向けて、一緒に頑張りましょう!

 

谷川俊太郎さんに捧ぐ(校長室より No.50)

詩人の谷川俊太郎さんが、13日に御逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心から御冥福をお祈りいたします。

谷川さんは1952年に第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行されると、まもなく、詩作と並行して歌の作詞、脚本やエッセイの執筆、評論活動などを行うようになりました。
また、「スイミー」に代表されるように、翻訳にも取り組んでおられました。

本日の下野新聞の評伝(共同通信記者・杉本新氏)には、以下のように記されています。


谷川俊太郎さんは、日常に何げない言葉で詩を書いた。
読者は共感したり、笑ったり、不思議に思ったり。
その魅力は絵本や歌詞でも同じだった。
読むと気持ちが解きほぐされる。
もし谷川俊太郎という詩人がいなかったら、私たちの世の中は今より窮屈になっていたのではないだろうか。
(中略)
詩壇に登場してから70年余り。常に第一線に立ち、言葉について考え抜いた。
詩作を巡るインタビューでは
「詩の言葉は人間の意識下の世界を探って取り出そうとするところがある。矛盾したもののただ中に生きるのが人間だから、詩ではそういうことを書きたい」と語った。
(中略)
矛盾、苦悩を抱える人生であっても、今、生きていると全身で感じ、耳を澄ますこと。
その尊さを伝える詩は、人々を励まし、勇気づけた。
「生きる喜びや、世界の肯定の仕方を考えている」とも話した。
(中略)
素朴でいて奥深い。読者に希望をもたらす。
そんな詩人を私たちは失った。
だが残された数々の言葉は、闇を照らす星のように今日も輝いている。
谷川さんがいなければ、やはり世の中は今より窮屈だったに違いない。


難解で読者も離れていった戦後の一部の現代詩に反発するように、生活に根ざした日常語に光を当て、平易な言葉で深く広い世界に誘うの谷川さんの詩
その世界に深く共感するとともに、哀悼の意を込めて大好きな詩「二十億光年の孤独」を掲載します。
生徒の皆さんも是非、谷川俊太郎さんの世界に触れてみてみてください。


二十億光年の孤独     谷川俊太郎

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
 
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

 

読書の秋(校長室より No.49)

今度の日曜日、10月27日から2週間の期間で「2024年第78回読書週間」が始まります。
終戦の2年後の1947(昭和22)年、まだ戦争の傷あとが日本中のあちこちに残っているとき、「読書の力によって、平和な文化国家を創ろう」と、出版社・取次会社・書店と図書館が力をあわせ、そして新聞や放送のマスコミも一緒になり、第1回「読書週間」が開かれました。
第1回「読書週間」は11月17日から23日でした。
これはアメリカの「チルドレンズ・ブック・ウィーク」が11月16日から1週間であるのにならったものです。
各地で講演会や本に関する展示会が開かれたり、読書運動を紹介する番組が作られました。
今の10月27日から11月9日(文化の日をはさんで2週間)になったのは、第2回からです。
それから約80年、「読書週間」は日本中に広がり、日本は世界のなかでも特に「本を読む国民」の国となりました。
今年の標語とポスターは以下のとおりです。


そのこともあり、先週10月16日の全校朝会では、読書を中心に話をしました。
主な内容は、以下のとおりです。


初めに、郡市新人大会や各種コンクール等での本校生徒の活躍の様子をスライドショーで視聴、今後の更なる活躍をお願いした。

秋は、過ごしやすく何をするにもよい季節である。
今日は「読書の秋」ということで、読書に注目して話をする。
残念なことに、ここ数年読書離れが加速していて、若者はもとより大人も本を読まなくなっている。
昨年、文化庁が16歳以上を対象に行った調査では、1か月に1冊も本を読まない人の割合、つまり不読率が初めて半数を越え、62.6%となった。
この調査は5年おきに行われているが、前回調査よりも不読率は15.3ポイントも増加した。
果たして、皆さんは1か月にどれぐらい本を読んでいるだろうか。
今年度は、「学級読書の日」を設定して定期的に図書室の活用を促しているため、昨年よりは月当たりの読書冊数が増加していることと思う。

では、なぜ読書は必要なのか。
それは、読書をすることで、読解力や想像力,思考力,表現力等が養われるとともに、多くの知識を得たり、多様な文化を理解したりすることができるようになるからである。
また、文学作品に加え、自然科学・社会科学関係の書籍や新聞、図鑑等の資料を読み深めることを通じて、自ら学ぶ楽しさや知る喜びを体得し、更なる探究心や真理を求める態度が培われるからである。
もう少しイメージしやすい言葉で表現すると、読書によって自分の知らないことが明らかになり、世界が広がる。
そのことが、豊かな人生を送る上でとても大切なのだ。
厳しい話だが、中学校で義務教育は終わり、卒業後にどのような進路を選ぶかは、自分で考えなければならない。
また、成人して自分で働くようになれば、基本的には自由で、どう生きるかは自分で決める必要がある。
そのように進路や生き方を決めるときには、「大きな地図=知っている世界の広さ」と「正確な羅針盤=進むべき方向を示すもの」が必要である。
読書をすることで、地図の大きさはどんどん広がり、羅針盤はより正確なものとなっていく。
そして、最も大切なことは、その年代のときにしか得られない感動、深い気付きがあるということ。
中学や高校時代に感銘を受けた本を、大人になってから読み返しても、若いときのような感動がなく、さらりと流れてしまうことがある。
そのときしか感じられない感動や深い気付きは、特に感受性豊かな中学・高校時代に多い。
読書は後で、大人になってからすれば良いというのは大きな間違いで、今だからこそ読むべきなのだ。

最後に、私から中学生におすすめの本を3冊ほど紹介する。
1冊目は、辻村深月さんの『かがみの孤城』である。
学校に行けない7人の子供たちの再起の物語
全てがつながるラストは、明日への希望満載で、生きづらさを感じている人への素敵なプレゼントとなるはず。
2冊目は、ダニエル・キイスさんの『アルジャーノンに花束を』である。
幼児並みの知能しか持たなかったチャーリィは手術により知能を向上させる。
今まで知らなかった愛や憎しみ、喜びや孤独を知った先にあるのは果たして…涙なしには読めない名作
3冊目は、寺地はるなさんの『水を縫う』である。
主人公である手芸好きの男子高校生のまわりの人間模様から、「普通」を押し付けられることの違和感が描かれている。
そもそも普通とは何なのか。世の中の普通を踏み越えていく、清々しい家族小説である。
どの本も図書室にあるので、是非,借りて読んでみてほしい。
秋の夜長、家族皆で良書に親しまれることを期待する。

 

自然と人間(校長室より No.48)

本日、10月2日付けの下野新聞に環境省の調査結果が掲載されていました。
全国各地で自然の長期的な変化を調べたところ、里山や里地にいる鳥やチョウなどの身近な生物の個体数が急速に減っていることが分かったそうです。
中でも、スズメやオナガなど、どこにでもいる普通種の減少が深刻なようです。
同日の同紙の紙面には、元京都大学長で霊長類の研究者でもある、山極寿一氏の論説が掲載されていました。
その一部を要約します。


関野吉晴氏の映画が教えてくれる最も大切なことは、私たち現代人が自然の循環から外れた道を歩んでいる事実であろう。
動物たちが分解できない薬物や人工添加物を摂取し、消化できないプラごみを大量にまき散らし、シロアリがつかない材料で家やビルを建てる。
土壌をコンクリートで固め、化学肥料や農薬で汚染し、分解者たちを排除してしまう。
人間が循環の道を外れるどころか、自然の流れを断ち切り、生物圏を崩壊させているのだ。
都市生活はその最たるもので、映画の中に出てくる東京の玉川上水を分断する道路計画もその危惧を抱かせる。
この川は動植物たちの貴重な連携の通路である。
自分たちの便宜だけを考えて自然を改変すれば、必ず自然からのしっぺ返しを受ける。
壊れた自然は元には戻らない。
そうならないうちに、私たちの日々の営みを自然の流れに沿って見つめ直さなければならない。
地球環境が大きく変動し始めている今、自然のリサイクルは待ったなしの緊急課題だと思う。


本日の真岡市の最高気温は、31.1℃でした。
10月としては異例の暑さであり、昨日、今日と全国でも多くの地点で30℃以上の真夏日となっています。
このような急激な気候変動も、人間のわがままな日々の営みの結果かもしれません。
私たち人間は、自然の中で生かされていることを忘れてはいけないと思います。
本校では、全学年で総合的な学習の時間に、「SDGs」についての探究的な学びを進めています。
そこでの学びが、将来の地球環境保全への原動力になることを信じています。

2年連続の「観測史上最も暑い夏」と「東中SDGs宣言」(校長室より No.47)

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、今週に入ってやっと猛暑が落ち着き、秋の気配を感じるようになりました。
熱中症のリスクも下がり、少し安心しているところです。
昨年の夏は、全国の平均気温が1898年の統計開始以来最高となり、「観測史上最も暑い夏」となりましたが、今年も同様の平均気温を記録し、2年連続の「観測史上最も暑い夏」となってしまいました。
果たして、この猛暑は何が原因なのでしょうか。地球の過去の気候変動を基に考えてみたいと思います。


地球の大気には生命活動に必須の酸素がふんだんにあり、温室効果をもつ二酸化炭素が適度にブレンドされている。
そのため、地表の年平均気温は15℃前後で、昼夜の寒暖差も小さく、生命にとってまさに「奇跡の星」となっている。
現在は非常に穏やかな気候になっているが、地球が約46億年前に誕生してから現在に至るまで、その気候は激しく変化してきた。
◆地球は過去において複数回、赤道付近まで氷に覆われる「スノーボールアース(雪玉地球)」の時代を経験している。氷床の厚さは1000m以上にも及び、液体の水は深海底や火山周辺の地熱地帯にしか存在しなかった。反対に、恐竜の全盛期と言われる白亜紀は非常に高温で、極地方にすら氷床が存在しない「グリーンハウスアース(温室地球)」の状態であった。
◆現在は、氷河時代の比較的温暖な時期である間氷期であり、氷床はグリーンランドや南極大陸など極地方にのみ存在している。
◆気候変化の要因は様々だが、最も大きな影響力を持つのが大気中の二酸化炭素濃度である。急激な気候変動にブレーキを掛け、一定の振幅に収めているのは、大気とそれ以外の地球(海やマントルなど)との間の炭素のやりとりである。
◆しかし、近年、この抜群のフィードバックシステムにほころびが生じている。原因は、化石燃料の使用に伴う、二酸化炭素を中心とした温室効果ガスの大気中への大量放出である。間氷期には約280ppmでほぼ一定だった二酸化炭素濃度は、産業革命以降増え続け、2018年には400ppmに達している。わずか250年足らずで1.4倍に急増、この急激な二酸化炭素濃度上昇と連動するように地球の平均気温は上昇し、2017年時点で産業革命前より1℃上昇、2040年頃には、1.5℃程度の上昇になると言われている。
◆このまま温暖化が進行すると、極域にある巨大氷床の融解が進み、海面が今より10~60m上昇する可能性があり、仮に海面が60m上昇すると海岸線が真岡市付近まで来るなど、関東平野はその大部分が水没してしまう。
(参考文献:「地球46億年 気候大変動」横山祐典 著 講談社)


このように、二酸化炭素濃度の上昇に伴う地球温暖化は、産業革命以降、非常に短期間で進行し、海面上昇や気候変動等により、世界に危機的状況をもたらしつつあります。
近年の世界的な猛暑も、地球温暖化が原因である可能性が高いことが指摘されています。
このことについて、私たち大人はもちろんですが、未来を生きる生徒たちにも、自分自身の問題として意識してもらう必要があります。
本校では、各学年とも総合的な学習の時間に「SDGs」に関する調べ学習等に取り組んでいます。
今年度中には、生徒会が中心となって「東中SDGs宣言」を発出し、今自分たちができることを明らかにするととももに、問題解決に資する具体的な取組をスタートする予定です。
アメリカ先住民の言葉に、「地球は先祖から譲り受けたものではない。子孫から借りているものだ。」というものがあります。
私たちの子孫に、「奇跡の星・地球」を持続可能な状態で返せるよう、「東中SDGs宣言」とともに真岡東中は確かな一歩を踏み出します。

共生社会の実現に向けて(校長室より No.46)

本日、全校朝会(リモート)で校長講話を行いました。
主な内容は以下のとおりです。


1つ目は、9月2日のかき氷のことである。
パパさん学校応援隊の皆様の協力により、今年も全生徒にかき氷が振る舞われた。
このかき氷は、夏休み明けでストレスを感じる生徒も多いことから、皆を少しでも元気付けようと始まったもので、今年で3回目になる。
しかし、「かき氷おいしかったね。」で終わりにしないでほしい。
当日、猛暑の中1人で100杯以上のかき氷を作ってくれたことはもちろん、かき氷器を借りてくることやブロック氷の手配など、大変な手間がかかっている。
また、平日なので、パパさん学校応援隊の方々は、仕事を休んで学校まで来てくれた。
是非、これらのことに思いをはせて、感謝の気持ちを持ってほしい。
これから皆は、長い人生の中で多くの方々にお世話になり、様々な形で手助けしてもらうと思う。
そのようなときには、「感謝」の気持ちを忘れず、言葉で伝えるとともに、行動で示すことが大切。
先日のかき氷で言えば、皆さんが明るく元気いっぱいに学校生活を送ることが、何よりの恩返し。
これからも様々な支援に対する「感謝」の気持ちを忘れず、行動で恩返ししていこう。

2日目は、「中秋の名月」についてである。
昨日、9月17日は「中秋の名月」だった。
多くの人が月見を楽しんだことと思う。
中秋の名月とは、旧暦(太陰太陽暦)の8月15日の夜に見える月のことを指す。
古来、日本では「春は花、秋は月」を愛で、季節を楽しんできた。
月見は「中秋の名月」を鑑賞する伝統的な行事です。澄み渡る秋の夜空に昇る月に、人々は収穫の感謝を込めて祈り、来年の豊作を願った。
皆の自宅でも、お団子をお供えし、ススキの穂を飾り付けたところも多いのではないだろうか。
お団子は月に見立て、ススキの穂は稲穂に見立てている。
また、意外なことに、中秋の名月は必ず満月になるわけではなく、実は今日18日が満月になる。
中秋の名月と満月の日付がずれることはしばしば起こり、これは、中秋の名月は太陰太陽暦の日付(新月からの日数)で決まるのに対して、満月は、太陽、地球、月の位置関係で決まるからである。
ところで、月は季節にかかわらずいつでも見られるのに、なぜ昔から秋の月は美しいといわれるのか。
それは、秋の空気は水分量が春や夏に比べて少なく乾燥しているため、澄んだ空気が月をくっきりと夜空に映し出すからである。
今日が晴れれば、是非、秋の満月を楽しみ季節感を肌で感じてほしいと思う。

最後、3つ目は、先日閉幕したパラリンピックについての話である。
皆もよく知っているオリンピックシンボル、五輪のマークは、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、オセアニアの5大陸の団結とオリンピック競技大会に世界中から選手が集うことを表現している。
そして、パラリンピックにも「スリー・アギトス」と呼ばれるのシンボルロゴがある。
「アギト」とは、ラテン語で「私は動く」という意味で、困難なことがあってもあきらめずに、限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現している。

パラリンピックは障害者を対象として行われている国際競技大会で、4年に一度、オリンピック終了後に同じ会場を使用して開催されている。
始まりは、1948年の第14回ロンドン大会の開会式の日に、イギリスのストーク・マンデビル病院でリハビリ治療の一環として、ドイツ人医師のルートヴィヒ・グットマンにより開催された、車いす患者によるアーチェリー大会だと言われている。
当初は障害者の治療・リハビリという側面が強かったパラリンピックですが、現在はアスリートによる競技スポーツへと発展している。
出場者も「車いす使用者」から対象が広がり、「もうひとつの(Parallel)+オリンピック(Olympic)」という意味で、「パラリンピック」という公式名称も定められた。
私たちは、パラリンピック等を通して、障害を持ちながらも懸命に頑張るパラアスリートに声援を送るのはもちろん、このような機会を生かして、障害者への理解を深め、障害の有無にかかわらず様々な人々が生き生きと活躍できる「共生社会」の実現に向けて、思いを新たにする必要がある。
そのためには、障害者の問題を自分事として捉えることが何よりも大切である。
そこで、本校では今年の12月5日に「あすチャレ!スクール」を活用して、パラスポーツ体験型出前授業を実施する予定である。
視覚障害のある元パラリンピアンの高田朋枝さんに来ていただき、ゴールボールの体験を行う。
このような機会を生かして、一緒に共生社会の実現に取り組んでいこう。


私たち大人の取組はもちろん、これからの時代を担う皆さんの情熱により、共生社会が実現することを強く願っています。

だいじょうぶだよ(校長室より No.45)

昨日、9月16日(月)は、敬老の日でした。
敬老の日は、2002年までは毎年9月15日でしたが、「ハッピーマンデー制度」の導入により、「9月の第3月曜日」に変更されました。

昨日は、生徒の皆さんの中にも、おじいちゃんやおばあちゃんのお祝いを一緒に行った人がいると思います。
総務省の統計によると、65歳以上の高齢者は3625万人で、日本の全人口の約3割に当たります。
敬老の日がスタートした1966年当時の高齢者は600万人台でしたので、短期間で一気に増加したことが分かります。
今後、ますます高齢化は進んでいくことでしょう。
高齢者が住みよい世の中にしていくためには、どうすればよいでしょうか。

参考に長谷川和夫先生作の絵本「だいじょうぶだよ ーぼくのおばあちゃんー」を紹介します。
医師である長谷川先生は、日本の認知症研究の先駆けであり、第一人者です。
患者が認知症かどうかを判断する「長谷川式簡易知能評価スケール」の発案者としても有名です。
そんな長谷川先生は、自身が認知症を発症したことを公表し、当事者の目から見た認知症の実際を、講演や著書により広く世の中に発信されていました。
2021年に残念ながら永眠されましたが、長谷川先生の行動により、同じ病気に苦しむ患者さんやその家族の方々は、たくさんの希望をもらったものと思います。

「だいじょうぶだよ ーぼくのおばあちゃんー」は、認知症になったおばあちゃんとその家族の話ですが、長谷川先生の実体験がもとになっているようです。
認知症が進んだおばあちゃんが、家族での会話の席で、
「みなさん どなたですか? みなさんが だれか わからなくて…」と言います。
それに対して、孫の小さな男の子が、
「おばあちゃん、おばあちゃんは ぼくの おばあちゃんだよ。おばあちゃんが わからなくても、ぼくも ママも パパも おねちゃんも みーんな おばあちゃんのことを よーく しっているから だいじょうぶだよ。しんぱいないよ、おばあちゃん!」と声を掛けます。
それを聞いたおばあちゃんは、不安な気落ちが和らぎ、笑顔を取り戻すという内容です。

人生100年時代が到来しようとしている今、認知症の問題は避けては通れない問題です。
誰もが発症の可能性があります。
そのとき、この男の子のような声掛けが自然とできるような、そんな優しい世の中であってほしいと思います。

 

 

「挑戦」への心構え(校長室より No.44)

いよいよ今日から2学期がスタートしました。
心配された台風の影響もなく、元気いっぱいの生徒の皆さんと再会できたことをうれしく思います。

1学期の終業式では、「前へ」という言葉とともに、夏休み期間中の「新たな一歩」を皆さんに求めましたが、果たして勇気を持って一歩前に踏み出し、新しい景色に触れることができたでしょうか。2学期も是非、「前へ」進む気持ちを大切にしてほしいと思います。

第2学期始業式は、LEDに換装されて明るくなった体育館で実施しました。
式辞の主な内容は、以下のとおりです。


今日は式辞の中で、部活動のこと、2学期の期待、飛躍のためのメッセージの3つについて話す。

1つ目の部活動については、陸上部の男子選手が7月23日に行われた県総体陸上競技大会の走り高跳びで、自己ベストを大幅に更新する1m85cmを跳び、見事全国大会出場を果たした。
これは、日頃のたゆまぬ努力の成果であり、本校の歴史に新たな輝かしい1ページを刻んでくれた。
また、吹奏楽部が、夏休みに行われた栃木県吹奏楽コンクールで上位入賞を果たし、5年連続の東関東吹奏楽コンクールへの出場が決定した。
9月21日に千葉県で行われる東関東でも、上位入賞を期待している。
そして、9月19日には郡市新人陸上が、そして9月27日からは郡市新人各種大会が行われる。
3年生の頑張りに負けないよう、1・2年の活躍を大いに期待している。

2つ目は、2学期の期待についてである。
2学期は3つある学期の中でも最も長く、気候的にも過ごしやすい秋が中心だから、大きな成果が期待できる学期である。
また、ひがし野祭や駅伝フェスティバルなどの大きな行事があり、部活動も新人戦やコンクール、展覧会などが目白押しである。
行事や大会等に進んで真剣に取り組み、チャンスを逃さず、自分を大きく伸ばしてほしい。
3年生には、ひがし野祭を中心に、まさに東中の顔として中心となって活躍してくれることを期待している。
そして、何よりも来年に控えた受験に向けて確かな学力を身に付け、夢への扉を自分自身の手でしっかりと開けてほしい。
2年生は、3年生の後を受け継ぐ、大切な学期となる。
部活動もほぼ新チーム、新体制となり、生徒会役員選挙も12月に予定されている。
3年生の思いをもとに、東中のよき伝統を引き継ぎ、更に発展させる、そんな活躍を期待している。
1年生は、中学生としての土台を作り上げる大事な学期である。
土台が小さいと小さな建物しか建たないが、土台が大きくしっかりしていれば、どんな大きな建物も建てることができる。
先輩を見習いながら、その土台をしっかりと作ってほしい。

最後に3つ目。そのような大切な2学期を迎える皆に、1つのメッセージを送る。
それは「挑戦」という言葉に関することである。
将棋の羽生善治九段は、「挑戦」に関して、次のように述べている。
「何かに挑戦したら、確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ『情熱、気力、モチベーション』を持って継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。」
このように、「挑戦」には成功は約束されていない。
だからこそ、相当の情熱、気力が必要であり、途中で諦めたりしない、鋼のような強い意志が必要となる。
今年で54歳になる羽生善治九段は、中学生でプロ棋士なり、19歳で初タイトル・竜王を獲得、2017年に史上初の永世七冠を達成するなど、将棋界の記録を次々と塗り替えてきた。
そして、2018年には、棋士として初めて国民栄誉賞を受賞されている。
そんな羽生善治九段の言葉だから、非常に重みがある。
皆は、これから様々なことに挑戦していくことだろう。
その際、すぐに成果が上がることはまれだなはずだ。
「こんなに頑張っているのでに、どうしてだめなんだ。」とくじけそうになることも多いと思う。
でも、簡単には諦めないでほしい。
成功をつかんだ多くの人たちは、例外なく強い意志を持って挑戦し続けてきた。
これから様々なことに挑戦していく皆が、挑戦しようと決めたときと同じ「情熱、気力、モチベーション」を持って努力を継続し、成功を手にすることを信じている。


2学期の皆さんの頑張りを期待し、楽しみにしています。

前へ(校長室より No.43)

先週、19日(金)に第1学期終業式を行いました。
私の式辞では、各学年なりの1学期間の成長を確認するとともに、郡市・県総体等での活躍を称えました。
そして、夏休みの心構えとして「前へ」という言葉を紹介しました。
その概要は、以下のとおりです。


自分を大きく伸ばすチャンスである夏休みを迎える皆に、その心構えとして「前へ」という言葉を贈る。
この言葉は、長きにわたって明治大学ラグビー部の監督を務めた北島忠治(ちゅうじ)氏が唱えたスローガンである。
この上なくシンプルだが、勇気を与えてくれる力強い言葉だと思う。
北島監督は28歳のときに明治大学ラグビー部の監督になり、95歳で亡くなるまで現役の監督で居続けた。
67年もの監督生活の中で、選手たちに言い続けたことはただ一つ、「前へ」だったのだ。
細かい戦略を言うのではなく、スパルタでしごくのでもなく、「前へ」の精神で、弱小だった明治大学ラグビー部を日本一にまで押し上げた。
「前へ」というスローガンは、勝ち負けよりも前へ進むことを重んじる精神を示している。
もちろん試合において勝つことは重要だが、それ以上に、困難な状況でも逃げずに前へ進んで乗り越えていく生き方を学んでほしいという北島監督の思いがあった。
これが明大の明解なラグビースタイルとなり、たとえば「横へパスを回せばトライできる」ようなシーンでも、絶対に前に押すようになった。
それで負けることがあっても、これはもう精神として明治大学ラグビー部に根付いていった。

ラグビーだけでなく人生においても、困難なことに出会ったりしたときに、もちろん横へ逃げる方法もある。
しかし、迷ったらとにかく「前へ」の精神で踏み込んでいくことが大切で、信じて進むと、自然と道は拓けてくる。
皆が生きるこれからの時代は、人工知能の急速な進化などにより、予測困難な変化の激しい時代になる。
だからこそ、あれこれ迷っているよりは「前へ」踏み出してほしい。
一歩が無理なら半歩でもいいから、とにかく踏み出すことが大切だ。
勇気をもって踏み出せば、必ず景色が変わる。

いよいよ明日から夏休み。
長い休みは、自分を変える良いきっかけでもある。
東中伝統の「心意気」と共に、皆の一人一人が勇気を持って「前へ」踏み出してくれることを信じている。
2学期の始業式には、新しい景色に触れ、一段とたくましくなった皆と再会することを楽しみにしている。


例年、夏休みには水難事故が発生し、尊い命が失われます。
終業式終了後には、生徒指導主事から、川では絶対に泳がないことや海の離岸流の危険性について、具体例を挙げて注意喚起してもらいました。
約束も守り、安全な生活を心掛けましょう。
また、自分一人では快活できない悩みがあったら、必ず学校やしおりに載っている相談機関に電話をしてください。
9月2日(月)、元気な生徒の皆さんとの再会を楽しみにしています。

『「前へ」明治大学ラグビー部 受け継がれゆく北島忠治の魂』明治大学ラグビー部著、カンゼン出版社