校長室より

2024年11月の記事一覧

「誰か」のことじゃない。(校長室より No.51)

今週、11月27日(水)にオンライン配信で全校朝会を実施しました。
前半は賞状伝達でしたが、県ナンバーワンとなったサッカー部や吹奏楽部など多くの部活動や個人に賞状の伝達を行いました。
生徒の不断の努力が実を結び、成果となって表れたことを本当にうれしく思います。

後半の校長講話では、12月4日から始まる人権週間に合わせて、様々な人権問題の中から「ハンセン病患者及び元患者」の問題を取り上げて話をする予定でしたが、時間の都合で一部しか紹介できませんでした。
今後、学級活動等の時間に担任を通して、「ハンセン病患者及び元患者」についての理解を深めてもらうこととしました。
予定していた話の内容は以下のとおりです。


来月12月4日(水)から10日(火)までの1週間は、人権週間である。
今から70年以上前の1948年(昭和23年)12月10日の国連総会で、「すべての人間は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利とについて平等であること」などを示した「世界人権宣言」が採択された。
そのことを記念して、日本では12月10日を最終日とする1週間を人権週間と定め、人権尊重思想の普及高揚に努めてきた。

人権を分かりやすく言うと、「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」、「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持つ権利」のことである。
人権とは人間が生まれながらに持っているの当たり前の権利である。
では、果たして全ての人々の人権は守られているのだろうか。
残念ながら、世界人権宣言宣言が採択されてから70年以上が経過した現在も依然として多くの人権問題があり、偏見や差別に苦しんでいる人が大勢いる。
今回は、様々な人権問題の中から「ハンセン病患者及び元患者」の問題を取り上げる。

【ハンセン病について】
ハンセン病は、らい菌という細菌による感染症で、治療法がなかった時代には、病気の進行により運動麻痺や知覚麻痺、視覚障害、体の一部の変形などの症状が出ることがあった。
しかし、現在では治療法も確立し、早期発見と適切な治療により後遺症も残らない。
【ハンセン病への偏見や差別】
医療や病気への理解が乏しい時代には、その外見や感染への恐怖心などから、ハンセン病患者への過剰な偏見や差別があった。
しかし、現在でも、ハンセン病に対する正しい知識と理解はいまだ十分とはいえない状況にあり、ハンセン病の患者・元患者やその家族が、周囲の人々の誤った知識や偏見等によって、日常生活、職場、医療現場等で差別やプライバシー侵害等を受ける問題が起きている。
【ハンセン病の悲しい歴史】
19世紀後半、ハンセン病はコレラやペストなどと同じようにとても恐ろしい伝染病であると考えられていた。
そんな中、1931年(昭和6年)に全てのハンセン病患者の隔離を目指した「癩(らい)予防法」が成立し、国を挙げての隔離政策が進めらた。
いったん療養所に入所すると一生そこから出られないだけでなく、亡くなったあとの遺骨すらも実家のお墓に入ることがかなわず、療養所の納骨堂に納められた。
また、患者同士での結婚は許されていたが、子供が産めないよう強制的に手術を受けさせられた。
その後、医学の発展に伴い1946年(昭和21年)には特効薬も完成し、ハンセン病は治る病気となったにも関わらず、1953年(昭和28年)に新たな「らい予防法」が定められ、患者の強制収容が続けられた。
国の誤った強制隔離政策である「らい予防法」は、1996年にようやく廃止された。
しかし、療養所から自由に出られるようになっても、入所時に家族に迷惑が及ぶことを心配して本名や戸籍を捨てたことや、根強く残る偏見や差別などにより、故郷に帰れない人が数多くいる。
国も過ちを認め、2001年には当時の小泉首相が患者・元患者に対して、2019年の7月には故・安倍元首相が患者・元患者の家族に対して、それぞれ首相談話の形で深い反省の意を表し、補償や名誉回復を約束した。

私自身、10年以上前にハンセン病の国立療養所「多磨全生園」を訪れる機会があった。
その時に入所者の方々が涙ながらに語られた家族や故郷への思いは、今でも忘れることができない。
別れ際に入所者の方が差し出された手は、病気の後遺症で変形していた。
その手を握り返しながら、自分の心の弱さを実感した。
絶対に移らないと分かっているのに、怖さを感じてしまったのだ。
本当に情けないと自分を恥じると同時に、人間の心の弱さを改めて感じた。

人権は、だれにとっても身近で大切なものであり、必ず守られるべきものである。
しかし、私たちの心の中には、自分とは違う一面を持つ人を差別する気持ちが入り込んでくることがある。
その弱い気持ちに負けないためには、人権感覚を磨き続けなければならない。
自分の心に偏見の芽はないか、みんなと違うという理由だけで排除や差別をしていないか、弱い立場の人をいじめていないかなど、常に自分自身を厳しく見つめることが大切である。
これは、中学生である皆だけでなく、我々大人も同じである。

世界大戦など20世紀までの反省の上に立ち、21世紀を全ての人の人権が尊重され、幸福が実現する時代にしたいとの願いを込めて「21世紀は『人権の世紀』である」とされてきた。
しかし、国家間の戦争や繰り返されるテロ、未だに解決されない様々な人権問題など、人権の世紀が実現したとは言い難い現状がある。
我々大人はもちろん、これから21世紀を支えていく皆も一緒になって人権感覚を磨き、21世紀を全ての人の人権が尊重され、幸福が実現する時代にしていこう。


 12月4日から始まる「第76回人権週間」
今年もテーマは「『誰か』のことじゃない。」です。
「ハンセン病患者及び元患者」の問題をはじめ、様々な人権問題を同和問題や子供、障害者、LGBTQなどの様々な人権問題を「誰か」のことではなく「自分事」として捉えることが、何よりも大切です。
「人権の世紀」の実現に向けて、一緒に頑張りましょう!

 

谷川俊太郎さんに捧ぐ(校長室より No.50)

詩人の谷川俊太郎さんが、13日に御逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心から御冥福をお祈りいたします。

谷川さんは1952年に第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行されると、まもなく、詩作と並行して歌の作詞、脚本やエッセイの執筆、評論活動などを行うようになりました。
また、「スイミー」に代表されるように、翻訳にも取り組んでおられました。

本日の下野新聞の評伝(共同通信記者・杉本新氏)には、以下のように記されています。


谷川俊太郎さんは、日常に何げない言葉で詩を書いた。
読者は共感したり、笑ったり、不思議に思ったり。
その魅力は絵本や歌詞でも同じだった。
読むと気持ちが解きほぐされる。
もし谷川俊太郎という詩人がいなかったら、私たちの世の中は今より窮屈になっていたのではないだろうか。
(中略)
詩壇に登場してから70年余り。常に第一線に立ち、言葉について考え抜いた。
詩作を巡るインタビューでは
「詩の言葉は人間の意識下の世界を探って取り出そうとするところがある。矛盾したもののただ中に生きるのが人間だから、詩ではそういうことを書きたい」と語った。
(中略)
矛盾、苦悩を抱える人生であっても、今、生きていると全身で感じ、耳を澄ますこと。
その尊さを伝える詩は、人々を励まし、勇気づけた。
「生きる喜びや、世界の肯定の仕方を考えている」とも話した。
(中略)
素朴でいて奥深い。読者に希望をもたらす。
そんな詩人を私たちは失った。
だが残された数々の言葉は、闇を照らす星のように今日も輝いている。
谷川さんがいなければ、やはり世の中は今より窮屈だったに違いない。


難解で読者も離れていった戦後の一部の現代詩に反発するように、生活に根ざした日常語に光を当て、平易な言葉で深く広い世界に誘うの谷川さんの詩
その世界に深く共感するとともに、哀悼の意を込めて大好きな詩「二十億光年の孤独」を掲載します。
生徒の皆さんも是非、谷川俊太郎さんの世界に触れてみてみてください。


二十億光年の孤独     谷川俊太郎

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
 
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした