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朝会

3月11日(月)「足尾鉱毒事件」
この事件は、足尾銅山で起こった、日本で初めての公害事件です。足尾銅山は、明治時代、全国の半分近く(5分の2)の銅を生産していた日本有数の銅山でした。しかし、銅の精製で発生する有毒ガスによって森林が枯れ、有害な廃棄物が流出したことで洪水が起こり、渡良瀬川流域の土地には植物がまったく生えなくなりました。死んだ子どももたくさんいました。そんな状態を知った田中正造は、国に「足尾銅山を閉山して欲しい」と何度も頼んだが、国はその頼みを無視し続けました。そこで正造は、死を覚悟して天皇に直訴しようと計画しましたが、途中で警官に取り押さえられてあえなく失敗しました。当時、天皇陛下への直訴は、重大な犯罪で死刑になることもありました。その後も、渡良瀬川はたびたび氾濫したので、国は、「谷中村」を水没させ、遊水池にすることで洪水だけは起きないように計画を立てました。このときも、正造は、村人と一緒になって、肥沃な土壌をもつ村の水没に反対したが、またしても失敗しました。数年後、正造は鉱毒事件を解決できないまま、病気で亡くなってしまいますが、そのとき正造は一文無しでした。自分の財産の全てを、鉱毒事件のために使ったからです。だから、葬式のときの参列者は、5万人もいたと言われています。正造が生きているときにできなった環境問題は、正造を慕っていた人たちに引き継がれ、現在、足尾の山は、植林などをして昔のきれいな山に戻りつつあります。