日誌

田上教育長日誌

教師の当たり前

 本日、真岡市小中学校校長会があり、冒頭で次のようなことをお話ししました。
       
  教師には、教師としてやるべき当たり前のことがあります。
 例えば、パソコンに向かって仕事をしていて、子供が来てもパソコンから目を離さずに対応する教師がいることは、よく指摘されたことです。
 子供が来れば、子供と向き合うのは教師として当たり前のことです。他にも、教師としての当たり前はたくさんあります。
 ・学級担任ならば、朝は子供より先に教室に行き、子供を迎えるのは当たり前です。
 ・挨拶ができないと嘆く前に、子供より先に教師が挨拶をするのは当たり前です。
 ・授業はチャイムと同時に始め、チャイムと同時に終るのも当たり前です。
 ・子供がいるうちは子供を優先し、仕事は子供が帰ってから行うのも教師としては当たり前のことです。
  これらはほんの一部です。各校長先生が考える教師の当たり前もあると思います。充実の2学期となるよう、是非ともその徹底をお願いします。

「節目」での指導大丈夫ですか。


 1学期もあと僅かとなりました。学校では通知表もほぼ完成し、終業式を迎えるばかりのことと思います。ところで、学級担任の先生は、通知表を子供たちに渡した後、どのような話をして夏休みに入るのでしょうか。そして、子供たちはどう受け止めるのでしょうか。
  毎年夏休みに入ると、子供の事故が発生し、尊い命が失われています。終業式の日にはどの担任も、夏休みには交通事故や水難事故等に遭わないよう注意し、全員元気で2学期が迎えられるよう話しているはずです。なのに、子供の事故は後を絶ちません。事故の話に限らず、学習指導や生活指導等、「節目」となる終業式での担任の話は極めて重要です。
  かつて2学期制が競って導入されていた時期、子供たちが通知表をもらわずに夏休みに入ってしまう「節目」のなさに、いささかの不安を感じていた教師もいたことをご存じでしょうか。通知表は、1学期の子供の努力の足跡を教師が評価し、心を込めて書いたものです。担任はそれを子供たち一人一人に渡し、夏休み中の学習や生活等の有り様(よう)を話します。そこには、1学期の終了と夏休みを迎え、通知表を挟んだ絶好の「節目」の指導があったのです。それができない危機意識が働いていたのです。
 学期だけではなく、子供たちの生活の中には様々な「節目」があります。週や月の「節目」での指導は、平坦に流れがちな子供たちの生活にメリハリを与え、ほどよい緊張感を持たせることができます。その重要性を認識し、毎回子供たちの状況を見て、適切な指導を心がけている教師とそうでない教師では、学級経営に格段の差が出てきてしまいます。
 夏休み中にも大きな「節目」があります。中学校の運動部の生徒は、夏休みの総合体育大会が終了した時点で部活動に終止符を打ち、進路に向けた勉強に本腰を入れることになります。中学校生活を二分するこの「節目」のときに、部活動顧問からの指導は意欲を喚起し相当の効果があります。中学校の部活動顧問は、技術指導だけではなく、生徒指導はもちろんのこと、学習指導や進路指導等、部員の将来を見据えた指導まで要求されるのです。
  他にも、季節や行事の始めと終わり等々、大切な「節目」での指導があります。それらは大丈夫でしょうか。特に現在、新採や若い担任が増えています。今一度、その重要性を確認していただき、どの教師もしっかりとした「節目」での指導をお願いします。

 

信頼される教師

 6月30日(木)に、真岡市教育会と教頭会の合同研修会があり、先生方に話をする機会をいただきました。教職員の大量退職・大量採用の時代に入っている本地区においては、若い教職員を育てることが重要な課題となっています。そこで、平成22年9月発行の「芳広教委だより」巻頭言で酒井前教育長が書かれた「『信頼される教師』再考」をお借りして、4つの求められる教師像をお話ししました。信頼される教師となるための条件でもありますので、ここでそれらを紹介します。
 
 先ず第一に、授業力のある教師です。つまり、どの子どもにも「分かる授業」ができる教師ということです。子どもは誰でも、能力の差こそあれ、授業が分かり、できるようになりたいと思っています。それに応え分かる授業を行うことが、教師としての役目であり責任でもあります。ですから、教材研究を怠り授業がマンネリ化すれば、教師の信頼が落ちるのは間違いありません。
 子どもの学習意欲を喚起し、子どもが主体的に学習に取り組み、一人一人が「なるほど、分かった」と実感できる授業を常に心がける教師でありたいものです。
 第二に、子どもを理解し認めることができる教師です。子どもは誰でも、多かれ少なかれ教師に認めてもらいたいと思っています。しかし、この欲求が意外に厄介です。子どもによっては自分の気持ちを素直に表現できず、大人から見れば不自然な言動をとることがあります。
 例えば、学級で教師を遠巻きに見ていて無視しているような子どもでも、実は声をかけてもらいたいと思っているのです。 子どもの深層心理は複雑で、時として理解し難いことがあります。しかし、子どもは正直でもあります。「私を見てほしい、よさを認めてほしい」と内なるサインを発していますので、それを見逃さない敏感さが教師には必要です。子どものよさをつぶさに見取り認めてあげられるよう、子ども理解に努めてほしいと思います。
   第三に、教育への情熱がある教師です。子どもに愛情を注ぎ、童心を失わず教育愛に燃えているということです。情熱のある教師は、いくつになっても魅力的で生き生きしています。その姿が子どもを引き付けます。
 昨今、教師の多忙化が問題になっていますが、教育への情熱を持ち続け、子どもと一緒に考え、悩み、共に成長できる教師であってほしいと願っています
  第四に、人間性が豊かな教師です。子どもは教師を一人の人間としても見ています。そのため、教師の人間性が子どもの生涯に影響を及ぼすこともしばしばあります。
 教師の言動はもちろんのこと、見方や考え方、生き方までも、子どもは教師をよく見ています。だからこそ、その見方は厳しいときもあるということを忘れてはいけません。一瞬にして信頼を失うことがありますので、子どもの鋭い見方に耐え得るよう、教師の内なる資源を磨いてほしいと思います。
 

ワンフレーズとストーリー


 6月23日(木)に第3回真岡市小中学校校長会がありました。私は、いくらかでも校長先生方にお役に立てればと思い、毎月教育長室だよりを作成し、校長会の折に配布しております。今回の巻頭言では、私が校長のときに心がけていた次のことを書きましたのでご紹介します。
 
「ワンフレーズ」と「ストーリー」で勝負
 前回、「校長の言葉は学校組織を動かす」ということについて述べましたが、そこで重要になるのが「ワンフレーズ」と「ストーリー」です。
  小泉純一郎元首相は、まさにそのワンフレーズで人を引きつけ、強いリーダーシップを発揮した指導者と言えます。例えば、かつて怪我を抱えながらも気力で優勝した貴乃花関に、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」と讃えた言葉は有名で、今でも多くの人に知られていると思います。また、国の施策等を表した「構造改革なくして成長なし」や 「郵政民営化が改革の本丸だ」などの簡潔明瞭な言葉は、自身の考えを国民に分かりやすく伝え、見事に国民の心を掴みました。
 このように、自分の考えや主張を凝縮しワンフレーズで表すことができると、分かりやすくインパクトもありますので効果的です。校長先生がメッセージを発信する際にも、ワンフレーズでうまく表現できると、確実に伝わり記憶にも残るでしょう。と言いましても、なかなか端的に表現するのは難しく、容易ではありません。ですが、先ずは実践。よく考え、言葉を吟味・精選し、ワンフレーズで表すことを心がけてみてはいかがでしょうか。
  一方で、ワンフレーズだけで全てが伝わるということではありません。そこで、ストーリーが大切になります。
 平井孝志・古田興司著『組織力を高める』では、「ある事柄が、自分との関連性が強く、連想が広がり、そしてそれがストーリー性をもって伝えられたとき、それは心の奥に大きなインパクトを与えることになる」とあります。そして、「組織内でのコミュニケーションにストーリー性をもたせるということは、指示や説明を行う際に、前後の文脈をしっかりと語ることだ」とも言っています。つまり、単なる事実の羅列ではなく、それらが一つのスト-リーとして伝えられたとき、人は共感し心を動かすのです。そして同時に、組織も動くのです。ですから、校長先生がリーダーシップを発揮するときには、ストーリーを無視することはできず、根拠を示したり、論理的なつながりを重視したりして、職員に納得が得られるよう、自身の考えや思いを発信してほしいと思います。
   
 

 
 

元気なあいさつ 明るい応答


 去る6月13日(月)の議会一般質問で、大瀧和弘議員から、「元気なあいさつ 明るい応答」について質問がありました。
  この言葉は、私が昨年勤務した山前中学校の卒業記念碑に刻まれた言葉で、あいさつ運動の合い言葉として使わせていただいたものです。昨年5月の学校だよりでは、次のように家庭にも呼びかけましたので、ここでご紹介します。

   皆さんは、本校の正門西脇に「元気なあいさつ 明るい応答」と刻まれた碑があるのをご存じでしょうか。これは遡(さかのぼ)ること今から38年前、昭和52年度の卒業記念碑なのです。当時から本校では、あいさつの励行に力を入れて、学校全体で取り組んでいたことがうかがわれます。
 あいさつは、漢字で「挨拶」と書きます。この「挨」という漢字には「心を開く」という意味があります。また、「拶」という漢字には「迫る」という意味があります。つまり、「挨拶」という漢字は「心を開いて迫っていく」という意味を持っているのです。だから、好ましい人間関係を築く第1歩はあいさつからといえます。見知らぬ人からでもあいさつをされますと、何となく気分が良くなるのはこのためなのでしょう。「元気なあいさつ 明るい応答」の碑
 さて本校では、当時の先輩方が残してくれたこの記念碑の精神を受け継ぎ、誰もが元気なあいさつができるよう、学校全体で取り組んでいます。「元気なあいさつ 明るい応答」を合い言葉に、いつでも、どこでも、誰とでも、元気なあいさつができるよう呼びかけています。そして、更にあいさつ日本一の学校を目指したいと思っています。そのためには、保護者の皆様のご協力が欠かせません。
 そこで確認です。朝起きたとき「おはよう」とお子さんに笑顔であいさつができているでしょうか。また、帰宅したときの「おかえりなさい」はいかがでしょうか。一日のスタートを気持ちよいあいさつで始めたいものです。また、疲れて帰ったときの「おかえりなさい」の一言は何よりも嬉しいものです。お子さんにとっても、保護者の皆様にとっても、あいさつは元気の源となりますので、ご家庭でも「元気なあいさつ 明るい応答」を合い言葉に、あいさつの励行にご協力をお願いします。
                 山前中学校 学校だより「山前中は今」5月号より