2024年12月の記事一覧
各学年への期待(校長室より No.53)
本日、12月25日(水)、終業式を実施しました。
週明けからのインフルエンザり患者の急増により、オンラインでの実施としました。
校長式辞の主な内容は、以下のとおりです。
2学期の始業式では、将棋の羽生善治九段の話から「挑戦」することの大切さについて話をした。
この2学期は、生徒の皆の一人一人が様々なことに挑戦し、「情熱、気力、モチベーション」を持って努力を継続したことで、自分の可能性を広げられたことと思う。
引き続き皆の頑張りを期待している。
2学期を振り返ってみると、コロナ禍による影響がほぼなくなったことで、充実した教育活動を実施することができ、非常に大きな成果が上がった。
特に、部活動については、昨年以上の活躍が光った。
運動部では、陸上競技における郡市新人4大会連続男女総合優勝が、本当に見事であった。
そして、サッカー部が約40県年ぶりとなる県新人大会優勝の快挙を成し遂げた。
さらに、特設駅伝部男子が郡市大会2連覇を果たし、県大会でも5位入賞と大活躍した。
文化部では、吹奏楽部が今年も快進撃を続け、5大会連続の東日本学校吹奏楽大会出場、県学校音楽祭中央祭大賞と特筆すべき成績を収めた。
また、特設合唱部の中央祭出場もすばらしかった。
さらに、ロボコン研究会は、今年も関東大会出場を果たした。
この他にも、作文や書道、美術作品、理科研究などでたくさんの上位入賞があった。
これらの多くの活躍・成果は、「自分たち東中生ならきっとできる」という信念の下、皆の一人一人が頑張った努力のたまものである。
連綿と続く東中の心意気を存分に示してくれたことを誇らしく思いう。
学校行事を振り返ると、ひがし野祭では、クラス全員が心を一つにして見事なハーモニーを披露した合唱コンクールが、大きな感動を呼んだ。
また、展示部門の充実や学習成果の発表、生徒会イベントなど、様々な場面で皆の主体性が十分に発揮され、確かな成長を実感することができたひがし野祭になった。
また、駅伝フェスティバルに関しても、大変盛り上がった。
チームのため学級のために懸命に走る姿はもちろん、共に走りながら声援を送る皆さんの姿に感動した。
学級・学年・学校の一体感が大いに高まった一日となった。
これらの活躍を踏まえ、もうすぐ新年を迎えるに当たり、更なる向上を期待して、それぞれの学年にお願いがある。
まず、1年生。中学校で経験したひがし野祭などの、大きな行事はどうだったか。
先輩たちの企画力や行動力に驚き、後を付いていくだけでも精一杯だったのではないかと思う。
しかし、頼りになった先輩たちも、いずれは卒業する。
少しでも早く先輩たちにに追いき、追い越せるよう、その背中をしっかりと見つめ、努力しほしい。
次に2年生。昨年とは違い、十分な戦力として東中を盛り上げてくれた。
明日の東中を担う期待の星として、一層の成長と活躍を楽しみにしている。
また、6月のマイ・チャレンジで高まった将来のなりたい自分、就きたい職業への意識は、来年2月の立志式をよい機会として、夢が目標となるよう具体的にイメージしてほしい
最後に3年生。皆の2学期の頑張りには感謝の気持ちでいっぱいである。
行事などを通して東中を次のステージに押し上げる、すばらしい活躍ぶりだった。
いよいよ受験が間近に迫ってきたが、この冬休みは関ヶ原ではないが、まさに「天下分け目の戦い」になる。
例え限られた時間であっても、集中力によって想像以上に大きな差が出る。
全員が笑顔で合格発表の日を迎えられるよう、全力で学習に取り組んでほしい。
※この後、平和の大切さについて話しましたが、「校長室よりN0.52」と内容が重複しますので、省略します。
来年1月8日の始業式で再会できることを楽しみにしている。
それでは、来る2025年、巳年の令和7年が、皆さんにとってすばらしい年になることを祈念して、式辞とする。
保護者の皆様、地域の皆様にも、1年間大変お世話になりました。ありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎えください。
平和への願いを胸に(校長室より No.52)
2024年のノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた「日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会」が受賞しました。
核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が二度と使用されてはならないことを、証言によって示してきたことが受賞理由です。
日本のノーベル平和賞受賞は、1974年の佐藤栄作元総理大臣以来、50年ぶりとなります。
日本被団協は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、原爆投下から11年後の1956年に結成され、それから68年間にわたり、被爆者の立場から核兵器廃絶を世界に訴える活動や被爆者の援護を国に求める運動を続けてきました。
昨日、ノルウェーの首都オスロで授賞式が行われ、代表の田中熙巳さんが記念講演を行いました。
私も報道により講演全体を視聴しましたが、田中さん自身の壮絶な被爆体験はもとより、以下の言葉が特に心に残りました。
「想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。」
「原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しています。」
この言葉を聞いて私は、紛争地で取材を続け、シリアで銃撃され命を落としたジャーナリストの山本美香さんが、子供向けの著書「戦争を取材する」の中で述べている内容に思いが至りました。
一部を抜粋します。
戦場では兵士だけでなく、みんなと同じ子どもたちも命を失います。
戦場では、大人だけでなく、みんなと同じ子どもたちも戦います。
戦場の子どもたちは、自分たちが大人になったとき、もう二度と戦争がおきないようにと願いながらくらしています。
そして、無知であることが、戦争への引き金になると知った彼らは、医者をめざし、法律家をめざし、電気、土木、農業などのエンジニア(技術者)をめざして学びつづけています。
国の未来をつくるのは自分たちの世代だとわかっているからです。
ちがっていることは壁でも障害でもありません。
人間はひとりひとりちがっているからこそ、豊かな関係を築いていけるのです。
だれもがちがいを学び、相手の気持ちを考え、他人を理解しようと努めることで、おたがいの価値観のちがいを乗りこえることができるのではないでしょうか。
平和な世界は、たゆまぬ努力をつづけなければ、あっという間に失われます。
私たち大人は、平和な社会を維持し、できるだけ広げていけるように道をつくります。
そして、これから先、平和な国づくりを実行していくのは、いま十代のみんなです。
世界は戦争ばかり、と悲観している時間はありません。
この瞬間にもまたひとつ、またふたつ… 大切な命がうばわれているかもしれない――目をつぶってそんなことを想像してみてください。
さあ、みんなの出番です。
核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!
(田中熙巳さんの受賞記念講演の最後の言葉です。)