日誌

田上教育長日誌

命の大切さや尊さの指導に加えて

 またしても異常極まりない事件が発生してしまいました。先月末、神奈川県座間市のアパートで、20歳前後の男女合わせて9人の遺体が発見されました。容疑者が逮捕され、その後の報道で犯行の状況が徐々に明らかになってきました。衝撃的といえるのは、僅か2ヶ月余の間に9人全員を殺害し、しかも遺体を切断し自分のアパートに遺棄したということです。容疑者の猟奇性は疑う余地がないのですが、教育に携わる者として看過できないことは、被害者のほとんどが「自殺願望」を持っていたということです。
 報道では、容疑者はネット上で自殺願望者を物色し犯行に及んだとされています。ネット上には自殺願望を発信する者が後を絶たないといいます。多くは若者で、実際の自殺者数をみても、警察庁の統計では自殺者全体の数は減少しているにもかかわらず、小中高校生の自殺者は変わっていません。この10年間、毎年300人もの小中高校生が自殺しており、多い年は350人を超えています。因みに昨年は320人でした。
 子供の自殺は対岸の火事ではありません。怖いのは、「死にたい」などと口にしたり、ネット上に発信したりする行為に抵抗感がなくなっていくことです。なぜなら、子供の深層心理は複雑でガラス細工のように脆い一面があるため、そういった行為がいじめなどで触発され実行に及んでしまう危険性を孕んでいるからです。現に身近でも、肝を冷やすような行為が散見され侮ることはできません。
 では、どう対応すればよいのでしょうか。私は、この事件の容疑者が「本当に死にたいという者はいなかった」と供述している点に注目しています。それは、自殺願望者であっても、実際に死と直面すると恐怖やリスクがよぎり、ためらいが生じると思えるからです。だとすれば、これまでの命の大切さや尊さの指導に加えて、次の①~③のような、死の恐怖やリスクを伝えることが自殺抑止に繋がるのではないかと思われます。
 ① 自殺という行為は耐えられないほどの痛みや苦しみを伴うということ
 ② 命は失うと二度と戻ってこないということ                     
 ③ 子供を失った親の悲しみは計り知れないものがあるということ
 自殺の代償は余りにも大きく、それは本人のみならず親にも重くのしかかります。特に我が子を失った親の悲しみは深く、子供の想像を遥かに超えています。かつては、「親より先に死ぬほどの親不孝はない」と親が子に諭したものですが、現在はほとんど聞かれないのではないでしょうか。だからこそ、子供を救えるのであれば、敢えてこういった死ぬことのリスクも伝えるべきではないかと思うのです。