校訓 「自主の精神」

校訓  『自主の精神』

                   自主の石碑

「牧が丘」の由来 中村中学校の敷地及びその周辺の地を「牧が丘」と名づけられた。何故その名が出てきたかというと、昔、奈良中期頃まで、周辺一帯は牧場であったのです。当時馬は非常に貴重なもので、軍馬として輸送用として使用していたのです。従って時の中央政府、奈良朝廷は、諸国に馬の生産を奨励し、それを献上させていたのです。 その場所がちょうど現在の間木堀にあったのです。何故かというと間木堀の地形が一番、放牧場に適していたのです。 西は鬼怒川の崖なので、それよりは出られない。従って三方だけ塞げばよいので労力的にも大変助かったわけである。そこで、北、東、南の三方を、馬が飛び越せない程度の堀を作って馬の逃げ出すのを防いだわけである。こうしてその堀の中を牧場として活用したのです。それでその堀のことを牧堀といったのです。この堀に囲まれた土地が今の間木堀なのです。牧堀が間木堀に変わったのです。河州田が粕田に変わったように。 こうして、ここで育てられた馬を中央政府に送っていたのです。こういうゆかりの地に中村中学校が建ったわけです。

創立30周年記念誌「牧が丘30年の歩み」より(一部省略した部分もあります)

【ロゴマーク】
 
本校では、昨年から美術科櫻井美佐子先生とアート部員により、ロゴマークのデザイン制作に取り組んできました。平成29年2月に完成したロゴマークは、中村中学校の概念を示しています。生徒、教職員の中村中学校への想いと、益々の躍進を形にしました。今後、様々な場面で使用していきます。→ 中村中学校ロゴマーク.pdf