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2021年11月の記事一覧

今日は小雪(しょうせつ)

本日、11月22日(月)は、二十四節気の一つ「小雪(しょうせつ)」です。
「小雪」とは、雪が降りはじめるころを指します。まだ、積もるほど降らないことから、小雪といわれたようです。
関東の平地でこの時期に雪が降ることはまれですが、遠くに見える山々の頂は白銀に染まり、冬の到来を間近に感じるようになります。

二十四節気は、季節を表す言葉であり、古代中国で誕生しました。
二十四節気は、1年を24分割するのですが、その分け方は、日照時間が最も長い「夏至」と最も短い「冬至」で2分割。昼夜の時間が同じ長さになる「春分」と「秋分」で4分割。それらの間に「立春」「立夏」「立秋」「立冬」を入れて8分割。その8つをさらに3分割して24に分けます。
二十四節気は、全て漢字二文字で表され、小雪の次は11月30日の「大雪(たいせつ)」です。
二十四節気を更に3分割したものが、七十二候となります。

ちなみに、あす23日は七十二候の一つ「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」です。虹を見ることが少なくなるという意味です。
虹を見る機会が減るのは、太陽の南中高度が低くなることで日差しも弱まり、曇り空も多くなるためです。

今も昔も、日本人は、季節に寄り添いながら暮らしています。
日本以外にも四季のある国はたくさんありますが、ことさら日本人の季節感は称賛されます。
それは、幼いころから自然に親しみ、繊細な感覚を身に付け、季節を愉しむすべを会得しているからだと思います。
生徒の皆さんも、是非、二十四節気を意識して生活してください。
国際化、グローバル化が加速するこれからの時代だからこそ、日本のよさを感じ、日本人としての自覚を深め、自己がよって立つ基盤にしっかりと根を下ろすことが重要になると思います。

「たいへん深い部分月食」

本日、11月19日(金)の宵のうち、部分月食を見ることができました。
最も大きく欠ける18時03分頃は雲がかかっていましたが、少し経つとほぼ雲がとれて、きれいな部分月食を見ることができました。

今回は月の直径の97.8%まで地球の影が入り込んでおり、皆既月食に非常に近い状況になりました。
このような場合は、「たいへん深い部分月食」と呼ぶそうです。
なお、月食の仕組みについては、5月25日投稿分をご覧ください。

ちなみに、皆既月食の場合は「赤銅色(しゃくどういろ)の月」を見ることができますが、通常、部分月食の場合は地球の影になったところは暗いだけではっきりしないことが多く、赤銅色には見えません。
しかし、今回はほぼ地球の影に隠れたため、「赤銅色の月」を見ることができました。

5月26日の皆既月食が、雲に隠れて見えなかったため、今回の「赤銅色の月」には感動しました。
一応西中の駐車場から写真を撮りましたが、明暗差が大きく難しかったですね。
生徒の皆さんは見えましたか?

 

君こそファーストペンギン

昨日、11月17日(水)に、全校朝会で校長講話を行いました。
新型コロナウイルス感染症の状況が落ち着いていることもあり、今年度初めて全校生徒を体育館に集めて朝会を行いました。
校長講話は毎回リモートで行っていたため、面と向かって直接話をすることができ、本当にうれしく思いました。

講話の内容は以下のとおりです。
1 気を緩めず感染防止対策を徹底してほしい。
2 大成功だった西輝が丘祭の称賛(特に3年生の頑張り)
3 特設駅伝部、男女アベック県大会出場への称賛
4 君こそファーストペンギン

「ファーストペンギン」の話の主な内容は、以下のとおりです。


野生のペンギンは、常に他の肉食動物に捕食される危険と隣り合わせの生活を強いられている。
ペンギンは厳しい環境を生き抜くために、基本的には集団で行動している。
生涯の7割以上を海で過ごし、陸に上がってくるのは、羽毛の生え変わる時期と子育てのときだけである。

魚が主食のペンギンは、陸の上から魚のいる海の様子をじっと観察するが、海の中にはペンギンの天敵であるシャチやアザラシなどもいるので、最初はなかなか飛び込もうとしない。
しかし、しばらくすると、あるペンギンが意を決して最初に飛び込む。天敵に捕食されるリスクをものともせず、自分を信じてチャンスをつかもうとするこの勇気あるペンギンを「ファーストペンギン」と呼ぶ。

ペンギンの世界に絶対的なボスは存在せず、誰かが先人を切って飛び込めば、後に続いて次々と海に飛び込んでいく。ボスではない普通のペンギンが「最初の一羽(ファーストペンギン)」になって、それにみんなが従う。

学校生活の中でもこれと似たような状況があると思う。例えば先生に、何かの役割を頼まれたとき、自分から進んで初めに手を挙げるのは、勇気がいる。授業中の質問も、初めに手を挙げるのはちょっと気が引けてしまうこともある。しかし、誰かが手を挙げた後は、意外と次の人が続くことも多いのではないか。

「ファーストペンギン」になれば、シャチやアザラシなどの天敵に食べられてしまうリスクはあるが、反面、誰よりも先にエサにありつき、おなかいっぱい食事をするチャンスを得ることができる。それだけではなく、仲間が安心して海に入ることができる状況をつくることで、群れに大きく貢献することができる。

普段の生活においてもファーストペンギンになることは、今まで見たことのない新しい世界を知るきっかけとなり、人生をより豊かなものにしてくれるだろう。
まずは、明日からの学校生活で、皆が最初の1歩を踏み出す勇気をもち、ファーストペンギンになってくれることを期待している。
今、生徒会役員選挙の立候補者の受付をしているが、我こそはファーストペンギンにと思う人は、賛同者を10名集めて、是非立候補してほしい。皆さんの活躍を期待している。

 

栄えある受賞

昨日、11月16日に真岡市教育祭と芳賀郡市教育祭が開催されました。

本校からも真岡市教育祭で4名の生徒が、そして芳賀郡市教育祭で1名の生徒が、日頃の努力が認められ、栄えある受賞となりました。
本当におめでとうございます。

西輝が丘祭などの大きな行事を通して、各学年とも大きく成長していますが、西中の主役は、やっぱり3年生です。
卒業まで4か月を切りましたが、誉れ高き賞をいただいた5名を中心に西中を大いに盛り上げてほしいと思います。
3年生の、更なる活躍を期待しています。
頑張ってください。

音楽の授業、童謡「赤とんぼ」

少し前の音楽の授業で、童謡「赤とんぼ」(作詞:三木露風 作曲:山田耕筰)を扱っていました。
「アカトンボ」という種類のトンボがいるわけではなく、「赤とんぼ」は、アキアカネ、ナツアカネ、ノシメトンボなど体の色が赤いとんぼの総称です。
その中でもよく知られているのは、アキアカネです。
アキアカネは、春に卵からかえり、6月頃に羽化するまで池や沼の中で過ごします。
羽化した頃は、実はまだ体の色は赤ではなく茶色です。
暑さの厳しい夏には涼しい山で過ごし、恋の季節である秋になると山から里に下りてきます。
その頃には、体の色も真っ赤に染まり、その姿はまさに「赤とんぼ」。
無事に恋が実ると、雌は水辺に卵を産み、また来年の春に新しい命が生まれます。

ところで、音楽の授業では歌詞の内容を扱っていました。
♪ 夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か
 山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか
 十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた
 夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先  ♪

恥ずかしい話ですが、つい最近まで、「負われて見た」の部分を「追われて見た」だと思い込んでいました。
ということは、全体の意味を正しく理解していなかったことになります。
この歌詞は、竿の先にとまっている赤とんぼを見て、幼少期を回想する内容です。
子守として雇われていた「姐や」に背負われて赤とんぼを見たことなど、幼少期の思い出がつづられています。
作詞者自身の思い出とのことですが、幼少期の複雑な境遇もあり、様々な感情が込められているようです。
歌詞の意味が理解できると、一層心にしみる童謡となりますね。

童謡とともに深まりゆく秋を感じると、感性が磨かれます。
その思いを詩や俳句にしてもいいですね。

 

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
これは、「風林火山」の軍旗で有名な戦国時代きっての名武将、武田信玄公(1521~1573年)の言葉です。
信玄公は11月3日の生まれで、今年は生誕500年に当たり、地元山梨での大法要や「のろしリレー」など催しが行われています。
ちょうど今、本校の3年生が修学旅行で山梨県を訪れており、武田神社にもお参りしているので、なにがしか信玄公に関する情報を得ているのではないでしょうか。

あの織田信長が最も恐れていたといわれ、徳川家康を完膚なきまでに打ち破るなど、後に天下を統一する二人の名将に多大な影響を与えた信玄公。
北信濃の支配権をめぐり、越後国の上杉謙信公と5回に渡り激突した「川中島の戦い」は、あまりにも有名です。
甲斐の国を平定し、天下統一へと動き出した矢先、京へ向かう道半ばで病に倒れ、天下統一には至りませんでした。
もし信玄公の寿命がもう少し長ければ歴史は変わっていたかもしれません。

さて冒頭で紹介した信玄公の残した有名な言葉、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」には、いくつかの解釈がありますが、概ね「人は、石垣や城と同じくらい、戦(いくさ)の勝敗を決するのに大切だ。」と捉える向きが多いようです。
戦国の世、他の武将が堅牢な城を築いている中、信玄公は本拠地に大きな城を持たず、一重の堀だけを巡らせた、城と呼ぶには小さい「館(やかた)」に居を構えていました。
立派な城を築くよりも、強い武士を育て戦う集団を作ることの方が大切だと考えたからでしょう。

また、「情けは味方、仇は敵なり」の言葉とおり、信玄公は「信頼してこそ人は尽くしてくれるもの」と考え、家臣に積極的に話しかけていたそうです。
人は、情けをかければ味方になりますが、恨みを持たれれば敵になります。権力で抑えつければ家臣は離れていき、敵になることもあるでしょう。
家臣を大切にして信頼関係を構築し、最強の軍団を作り上げた信玄公。

学校で最も大切なのは、もちろん生徒です。
「本校の生徒」や「生徒たち」とひとくくりにせず、「生徒一人一人」にしっかりと目を向けて信頼関係を構築し、最高の「真岡西中」をつくっていきたいと思います。