校長室より
わが教師十戒(校長室より No.42)
過日、総合教育センターで研修があった際、毛涯章平氏の「わが教師十戒」の紹介を受けました。
早速、掲載されている氏の書籍「肩車にのって」を購入しました。
以下、一部抜粋です。
わたしは、子どもたちを教えてきたつもりでいながら、実は、ずいぶんと教えられてきたように思う。
純粋な子どもの姿に、珠玉の輝きを見て心うたれたり、ときには、うっかりして子どもの心をひどく傷つけてしまい、「これで自分は『先生』といえるのだろうか」と、恥じいったことが、幾たびあったことだろう。
そのようにして年を重ねるうちに、わたしの中に、教師としての「自戒」のことばが凝縮してきた。それを、『わが教師十戒』として、われと我が身に言いきかせてきた。
それは、つぎの条々である。
1 子どもを、こばかにするな。教師は、無意識のうちに子どもを目下の者と見てしまう。子ども は、一個の人格として対等である。
2 規則や権威で、子どもを四方から塞いでしまうな。必ず一方を開けてやれ。さもないと、子どもの心が窒息し、枯渇する。
3 近くにきて、自分を取り巻く子たちの、その輪の外にいる子に目を向けてやれ。
4 ほめることばも、叱ることばも、真の「愛語」であれ。「愛語」は、必ず子どもの心にしみる。
5 暇をつくって、子どもと遊んでやれ。そこに、本当の子どもが見えてくる。
6 成果を急ぐな。裏切られても、なお、信じて待て。教育は根くらべである。
7 教師の力以上には、子どもは伸びない。精進をおこたるな。
8 教師は「晴明」の心を失うな。ときには、ほっとする笑いと、安堵の気持ちをおこさせる心やりを忘れるな。不機嫌、無愛想は、子どもの心を暗くする。
9 子どもに、素直にあやまれる教師であれ、過ちは、こちらにもある。
10 外傷は赤チンで治る。教師の与えた心の傷は、どうやって治すつもりか。
いま、ふりかえってみると、どれだけ「自戒」を守り得たか、はずかしい限りである。できることなら、この『十戒』をもとに、最初からやりなおしたいと思うこのごろである。
この「わが教師十戒」については、今まで何度か触れたことはありあしたが、改めて読み返してみて、子供を対等な人格を持つ一人の人間として、丁寧に、そして真摯に向き合う大切さに気付かされます。
私たちがついおろそかにしがちなことについて、改めて教職員で共有し、子供にとって明日が楽しみな、よりよい学校づくりを推進して参ります。
【参考】
毛涯 章平 氏
大正12年12月9日、長野県飯田市千栄に生まれる。昭和18年長野県松本市立田町国民学校をふり出しに、以後長野県内小中学校に勤務。昭和43年長野県教育委員会指導主事、昭和47年長野県上伊那郡高遠町立藤沢小学校長、昭和50年信州大学教育学部附属長野中学校副校長、昭和58年3月退職。この間、下伊那教育会長・同校長会長・長野県中学校長会長・長野県中学校体育連盟会長・全日本中学校長会理事等を歴任し、昭和57年文部大臣より教育功労者表彰を受ける。昭和61年下伊那郡豊丘村教育委員会教育委員長職務代理、昭和63年下伊那郡豊丘村教育委員会教育委員長就任、飯伊市町村教育委員会連絡協議会会長、平成17年3月退任。春の叙勲で「瑞宝双光章」受章。
「ふきのとうの餞別」、「肩車にのって」、「ただひたすらに」など先生の著書は、先生の子どもに対する温かい眼差し、包み込むような優しさから、全国の教師を目指す人たちのバイブルとなっている。