校長室より
堂々と胸を張って(校長室より)
御協賛企業及び団体様の御厚意により、学校に毎月「PHP」(PHP研究所)が寄贈されます。
本校でも、職員図書コーナーにて活用させていただいております。
そのPHP5月号の「生きる」(467話)に、藤田ゆかり様の「堂々と胸を張って」が掲載されていました。
心打たれる大変すばらしい内容で、共生社会の実現を目指してインクルーシブ教育を推進している本校にとって、大きな示唆をいただきました。
今回、発行元であるPHP研究所様及び作者の藤田ゆかり様の御厚意により、本校ホームページへの転載許可をいただきましたので、全文を掲載させていただきます。
本当にありがとうございます。
障がいをお持ちの方々が「堂々と胸を張って」生活できる共生社会の実現を目指して、本校は今後も特別支援教育の充実及びインクルーシブ教育の推進に力を入れて参ります。
なお、作者、出典等の詳細は、以下のとおりです。
・作者名 藤田ゆかり様
・出典名 月刊誌『PHP』2022年5月号、株式会社PHP研究所様刊行
・URLのリンク https://www.php.co.jp/php/
「あらあら、お帽子をなおしてあげましょうね」
娘をおぶっていた私のうしろで声がした。同時に、中年女性が駆け寄ってきて、あっというまに目深にかぶっていた娘の帽子を上にあげた。
次の瞬間に起こるであろう光景で、私の頭の中は真っ白になった。おそらく彼女は狼狽し、自分のおせっかいを悔やみながら足早に立ち去ろうとするだろう。そんな未来を想像していた。
「まあ、かわいいこと。なんてお名前なの?」
彼女から発せられた思いもよらない言葉に、私はおどろいた。
「愛子です」
思わず答えた私に、彼女は微笑みながら、こう言った。
「お帽子でおめめがよく見えないみたいだったわよ。お母さん、愛子ちゃんのために、堂々として!」
狼狽してしまったのは目の前の女性ではなく、私のほうだった。
愛子はダウン症。愛子を連れて行くスーパーでは、いつも他人の目が気になって、私はおどおどしていた。
なるべく愛子の顔に気づかれないように、故意に帽子を深くかぶらせていたのだ。障害児を産んでしまった自分を恥じていたし、世間にも負い目を感じていた。そんな私の心の中を見透かしたかのような女性の発言。
彼女は、こう続けた。
「お母さん、堂々と胸を張って愛子ちゃんのために」
そう言うと、笑顔のままスーパーから出て行った。私は、雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。
そうだ!今このときから卑屈になるのはやめよう。私が卑屈になれば愛子も卑屈になってしまう。堂々と胸を張って、生きるのだ。
私の中で、何かがはじけた。
スーパーを出ると、西の空が茜色に染まっていた。私は、その夕焼けに、美しいなあと見入ってしまった。つい先日も、空は同じような色をしていたけれど、私は夕焼けを血を流したような色だと思ってしまったのだった。
愛子が生まれて、11か月。忘れられない母親再生の日だった。
おまじないの言葉を胸に
堂々と胸を張って生きていると、いいことが向こうからやってくるようになった。愛子がよく笑うようになった。私にママ友ができた。そして何よりうれしかったのは、特別支援学校で吉田先生と出会えたことだった。
そのとき、愛子は小学1年生。私は娘に文字の読み書きなど、まったく期待していなかった。でも、吉田先生は、
「最初からあきらめないでください。少しずつやっていきましょう」
とおっしゃり、根気よく教えてくださったのだった。愛子は、6年かけてひらがなの読み書きができるようになった。そして、はじめて書いた文は、「せんせいだいすき」であった。先生とは、もちろん吉田先生のことだ。
私はというと、「堂々と胸を張って」という言葉を、おまじないのように唱えて暮らしていた。
「あんな嫁をもらったばかりに、あんな子ができてしまった」
そんな姑の嘆きを耳にしたときには、本当にこのおまじないに救ってもらった。もし、このおまじないがなかったら、私は、まるで深い海の中で、もがき苦しむような心境になっていただろう。
先生たちのおかげで
子育ても順調に思われたころ、吉田先生のお母さまの訃報がもたらされた。
私は、告別式に出席した。その告別式で手を合わせたとき、私は心臓が飛び出るほどおどろいたのだった。
遺影のお顔は、ずいぶん年を重ねていらっしゃるけれど、なんとあのスーパーで出会った女性ではないか。あのお方は、吉田先生のお母さまだったのだ!
遺影からは、まるでこんな声が聞こえてきそうだった。
「堂々と生きていますか?胸を張って生きていますか?」
私は何度もうなずきながら、涙が止まらなくなった。
人目を気にしながらうつむいていたあのころ、彼女に出会わなかったら、私の人生は大きく違うものになっていただろう。
現在、愛子は42歳。
あいかわらず幼児のような子だけれど、私は愛子の手を引いて堂々と、どこへでも出かけている。
さあ、胸を張って!