校長室から
だいじょうぶだよ
先日、長谷川和夫先生作の絵本「だいじょうぶだよ ーぼくのおばあちゃんー」という絵本を読みました。
きっかけは、長谷川先生の著書である「ボクはやっと認知症のことがわかった」の中で紹介されていたからです。
医師である長谷川先生は、日本の認知症研究の先駆けであり、第一人者です。
患者が認知症かどうか判断する「長谷川式簡易知能評価スケール」の発案者としても有名です。
そんな長谷川先生は、自身が認知症を発症したことを公表し、当事者の目から見た認知症の実際を、講演や著書により広く世の中に発信しています。
それにより、同じ病気に苦しむ患者さんやその家族の方々は、たくさんの希望をもらっているものと思います。
「だいじょうぶだよ ーぼくのおばあちゃんー」は、認知症になったおばあちゃんとその家族の話ですが、長谷川先生の実体験がもとになっているようです。
認知症が進んだおばあちゃんが、家族での会話の席で、
「みなさん どなたですか? みなさんが だれか わからなくて…」
と言います。
それに対して、孫の小さな男の子が、
「おばあちゃん、おばあちゃんは ぼくの おばあちゃんだよ。おばあちゃんが わからなくても、
ぼくも ママも パパも おねちゃんも みーんな おばあちゃんのことを よーく しっているから だいじょうぶだよ。
しんぱいないよ、おばあちゃん!」
と声を掛けます。
それを聞いたおばあちゃんは、不安な気落ちが和らぎ、笑顔を取り戻すという内容です。
人生100年時代が到来しようとしている今、認知症の問題は避けては通れない問題です。
誰もが発症の可能性があります。
そのとき、この男の子のような声掛けが自然とできるような、そんな世の中であってほしいと思います。
物部中の目指す生徒像は、「ふるさと物部を愛し、心やさしく覇気のある生徒」です。
本校での取り組みが、誰もが安心して暮らせる、思いやりにあふれた世の中の実現に向けた一助になれば幸いです。
あわてなさんな
谷川俊太郎さんの詩、「あわてなさんな」に心惹かれました。
「あわてなさんな」 谷川俊太郎
花をあげようと父親は云う
種子が欲しいんだと息子は呟く
翼をあげるわと母親は云う
空が要るんだと息子は目を伏せる
道を覚えろと父親が云う
地図は要らないと息子がいなす
夢を見ないでと母親が云う
目をさませよと息子がかみつく
不幸にしないでと母親は泣く
どうする気だと父親が叫ぶ
あわてなさんなと息子は笑う
父親の若い頃そっくりの笑顔で
私たちが子供を見るとき、どうしても大人の目線で見てしまいます。
そのため、失敗しないで最短距離で成功をつかめるように、先回りをしてあれこれ手伝いがちです。
でも、子供は、花(成功)をもらうより、種(可能性)をもらったほうが、うれしいのではないでしょうか。
種子を手間暇かけて世話をして、自らの手で芽吹かせ、花を咲かせる喜びを知る。
谷川さんの詩、「あわてなさんな」は、「子供の可能性を信じ、じっくり成長を待つ大切さ」を教えてくれてるような気がします。
ときには、ぐっとがまんも必要ですね。
遠くをはかるもの
昨日、2月4日(木)、立志式を行いました。
新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言下での実施ということで、内容を大幅に変更し、感染症対策を十分に講じた上で、2年生とその保護者の方々のみでの行いました。
式中、「誓いのことば」を堂々と発表する生徒たちの姿から、14年間の確かな成長を感じるともに、今後の更なる飛躍に期待が膨らみました。
私の式辞では、物部地区とも縁の深い二宮尊徳先生の言葉を贈りました。
遠くをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す
それ遠くをはかる者は百年のために杉苗を植う
まして春まきて秋実る物においてをや
故に富有なり
近くをはかる者は春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず
唯眼前の利に迷うてまかずして取り
植えずして刈り取る事のみ眼につく
故に貧窮す
意味は、「将来を考える人は裕福になり、目先のことを考える人は貧しくなる。将来を考える人は、百年のために杉の苗を植える。もちろん、秋実るものを考えて春、種をまく。だから豊かになるのだ。しかし、目先のことばかり考える人は、春植えて秋に実るなど遅すぎるとして植えない。目の前の利益に迷って、何も植えようとしないで刈り取るばかりだ。だから貧しくなるのだ。」となります。
御存知のこととは思いますが、二宮尊徳先生は、江戸時代後期の農政家、思想家です。現在の神奈川県小田原市に農家の長男として生まれ、自らの努力で逆境を切り拓くとともに、惜しみなく農民を指導し、報徳仕法により桜町領をはじめ多くの農村を復興させました。
二宮尊徳先生の言葉を胸に、立志を迎えた2年生の皆さんが、ゲームやSNSなどの身近な誘惑に惑わされ「近くをはかる者」になることなく、「遠くをはかる」熱い思いを大切にして、夢の実現に向けて、積小為大の精神で一歩一歩前進していくことを期待しています。
しもつかれ
「しもつかれ:神社に供え、近所で分け合う、昔ながらの伝統食」
今日、2月3日(水)の給食に、栃木県の郷土料理である「しもつかれ」が出ました。伝統的な「しもつかれ」は、割とくせのある味ですが、給食では、小中学生にも食べやすいように、かなり工夫されています。
私が子供の頃は当たり前のように2月の初午の日に食卓に並びましたが、今頃はどうなのでしょうか。そういう我が家でも20年ほど見ていません。
「しもつかれ」は初午(はつうま:2月最初の午の日)に、わらをたばねて作った「わらづと」に入れて、赤飯といっしょに稲荷神社にそなえる行事食です。「しもつかれ」という名前の由来には下野(しもつけ:栃木県)だけで作るからという説と、酢むつかり(いった大豆に酢をかけた料理)からきたという説があります。「七軒の家のしもつかれを食べると病気にならない」といわれ、近所の人たちと分け合って食べることが多い郷土料理です。
「しもつかれ」に使うダイコンやニンジンは「鬼おろし」という竹でできた目のあらいおろし器を使います。材料を大きく削ることができるので水分がでにくく、野菜の風味を残すことができます。それぞれの家に昔から受けつがれてきた作り方があり、同じ「しもつかれ」でも、家庭によってずいぶん味がちがうようです。
時代の流れとともに郷土料理が家庭から姿を消しつつある中、学校給食で「しもつかれ」が出ることは本当に有り難いことだと思います。
食べるだけでその当時の記憶がよみがえってくる、そんな郷土料理はこれからも継承していきたいものです。
新しい時代に必要な力
昨日、1月27日(水)、全校朝会を実施しました。
私からは、「緊急事態宣言発令に伴う新型コロナウイルス防止対策の徹底」、「二十四節気(大寒)と日本人の季節感」、「新しい時代に必要な力」の3点を話しました。
話の中心である「新しい時代に必要な力」の要旨は以下のとおりです。
皆さんが生きる将来の社会は少子高齢化が進行し、現在、総人口の約28%である高齢者の割合が、30年後の2050年には、約40%になる見込みである。
人口自体も、現在の1億2600万人から、2/3の8000万人程度になると考えられている。
社会保障の面からも、1人で1人を支える大変な時代になる。
現在、第四次産業革命が進行していると言われている。
IoT(モノのインターネット)に代表されるように、あらゆるモノや情報がインターネットを通じて繋がり、それらが互いにリアルタイムで情報をやり取りしつつ、人の指示を逐一受けずに判断・機能し、システム全体の効率を高めるとともに新たな製品・サービスを創出していく、超スマート社会、Society5.0と呼ばれる社会である。
そのような時代を生きる皆さんに必要な力は何か。
・時代の変化に合わせて、様々な変化に積極的に向き合い、他者と協働して課題を解決していく力
・グローバル化が進展することから、国籍や人種を問わず、多様性を受け入れ協力して課題を解決する力(英語の学習は、ますます重要)
・対話により、結論を導き出してく力
・AIが苦手な部分として、目的そのもの考える力。そのためには、価値を見付け生み出す感性や好奇心、探求力などが必要。それらはAIによって代替できない、人間の強みである。
新しい時代を生きる皆さんには、教えてもらったことを忠実に再現する力だけでは、不十分で、与えられた課題を独創的な方法で解決する創造力や、課題そのものを自ら見付け改善していくような力が必ず必要になる。
それらを念頭に作られた新しい学習指導要領が、来年度、令和3年度から全面実施となる。
新しい学習指導要領のキーワードの一つに「主体的、対話的で深い学び」があるが、正に、新しい時代に必要な力につながるものだと思う。
皆さんが、変化の激しい30年後の世界でも活躍できるように、先生方と一緒に新しい時代に必要な力をしっかりと身に付けていこう。
(三菱総合研究所・未来社会構想2050より)