校長室より
平和への願いを胸に(校長室より No.52)
2024年のノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた「日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会」が受賞しました。
核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が二度と使用されてはならないことを、証言によって示してきたことが受賞理由です。
日本のノーベル平和賞受賞は、1974年の佐藤栄作元総理大臣以来、50年ぶりとなります。
日本被団協は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、原爆投下から11年後の1956年に結成され、それから68年間にわたり、被爆者の立場から核兵器廃絶を世界に訴える活動や被爆者の援護を国に求める運動を続けてきました。
昨日、ノルウェーの首都オスロで授賞式が行われ、代表の田中熙巳さんが記念講演を行いました。
私も報道により講演全体を視聴しましたが、田中さん自身の壮絶な被爆体験はもとより、以下の言葉が特に心に残りました。
「想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。」
「原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しています。」
この言葉を聞いて私は、紛争地で取材を続け、シリアで銃撃され命を落としたジャーナリストの山本美香さんが、子供向けの著書「戦争を取材する」の中で述べている内容に思いが至りました。
一部を抜粋します。
戦場では兵士だけでなく、みんなと同じ子どもたちも命を失います。
戦場では、大人だけでなく、みんなと同じ子どもたちも戦います。
戦場の子どもたちは、自分たちが大人になったとき、もう二度と戦争がおきないようにと願いながらくらしています。
そして、無知であることが、戦争への引き金になると知った彼らは、医者をめざし、法律家をめざし、電気、土木、農業などのエンジニア(技術者)をめざして学びつづけています。
国の未来をつくるのは自分たちの世代だとわかっているからです。
ちがっていることは壁でも障害でもありません。
人間はひとりひとりちがっているからこそ、豊かな関係を築いていけるのです。
だれもがちがいを学び、相手の気持ちを考え、他人を理解しようと努めることで、おたがいの価値観のちがいを乗りこえることができるのではないでしょうか。
平和な世界は、たゆまぬ努力をつづけなければ、あっという間に失われます。
私たち大人は、平和な社会を維持し、できるだけ広げていけるように道をつくります。
そして、これから先、平和な国づくりを実行していくのは、いま十代のみんなです。
世界は戦争ばかり、と悲観している時間はありません。
この瞬間にもまたひとつ、またふたつ… 大切な命がうばわれているかもしれない――目をつぶってそんなことを想像してみてください。
さあ、みんなの出番です。
核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!
(田中熙巳さんの受賞記念講演の最後の言葉です。)
「誰か」のことじゃない。(校長室より No.51)
今週、11月27日(水)にオンライン配信で全校朝会を実施しました。
前半は賞状伝達でしたが、県ナンバーワンとなったサッカー部や吹奏楽部など多くの部活動や個人に賞状の伝達を行いました。
生徒の不断の努力が実を結び、成果となって表れたことを本当にうれしく思います。
後半の校長講話では、12月4日から始まる人権週間に合わせて、様々な人権問題の中から「ハンセン病患者及び元患者」の問題を取り上げて話をする予定でしたが、時間の都合で一部しか紹介できませんでした。
今後、学級活動等の時間に担任を通して、「ハンセン病患者及び元患者」についての理解を深めてもらうこととしました。
予定していた話の内容は以下のとおりです。
来月12月4日(水)から10日(火)までの1週間は、人権週間である。
今から70年以上前の1948年(昭和23年)12月10日の国連総会で、「すべての人間は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利とについて平等であること」などを示した「世界人権宣言」が採択された。
そのことを記念して、日本では12月10日を最終日とする1週間を人権週間と定め、人権尊重思想の普及高揚に努めてきた。
人権を分かりやすく言うと、「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」、「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持つ権利」のことである。
人権とは人間が生まれながらに持っているの当たり前の権利である。
では、果たして全ての人々の人権は守られているのだろうか。
残念ながら、世界人権宣言宣言が採択されてから70年以上が経過した現在も依然として多くの人権問題があり、偏見や差別に苦しんでいる人が大勢いる。
今回は、様々な人権問題の中から「ハンセン病患者及び元患者」の問題を取り上げる。
【ハンセン病について】
ハンセン病は、らい菌という細菌による感染症で、治療法がなかった時代には、病気の進行により運動麻痺や知覚麻痺、視覚障害、体の一部の変形などの症状が出ることがあった。
しかし、現在では治療法も確立し、早期発見と適切な治療により後遺症も残らない。
【ハンセン病への偏見や差別】
医療や病気への理解が乏しい時代には、その外見や感染への恐怖心などから、ハンセン病患者への過剰な偏見や差別があった。
しかし、現在でも、ハンセン病に対する正しい知識と理解はいまだ十分とはいえない状況にあり、ハンセン病の患者・元患者やその家族が、周囲の人々の誤った知識や偏見等によって、日常生活、職場、医療現場等で差別やプライバシー侵害等を受ける問題が起きている。
【ハンセン病の悲しい歴史】
19世紀後半、ハンセン病はコレラやペストなどと同じようにとても恐ろしい伝染病であると考えられていた。
そんな中、1931年(昭和6年)に全てのハンセン病患者の隔離を目指した「癩(らい)予防法」が成立し、国を挙げての隔離政策が進めらた。
いったん療養所に入所すると一生そこから出られないだけでなく、亡くなったあとの遺骨すらも実家のお墓に入ることがかなわず、療養所の納骨堂に納められた。
また、患者同士での結婚は許されていたが、子供が産めないよう強制的に手術を受けさせられた。
その後、医学の発展に伴い1946年(昭和21年)には特効薬も完成し、ハンセン病は治る病気となったにも関わらず、1953年(昭和28年)に新たな「らい予防法」が定められ、患者の強制収容が続けられた。
国の誤った強制隔離政策である「らい予防法」は、1996年にようやく廃止された。
しかし、療養所から自由に出られるようになっても、入所時に家族に迷惑が及ぶことを心配して本名や戸籍を捨てたことや、根強く残る偏見や差別などにより、故郷に帰れない人が数多くいる。
国も過ちを認め、2001年には当時の小泉首相が患者・元患者に対して、2019年の7月には故・安倍元首相が患者・元患者の家族に対して、それぞれ首相談話の形で深い反省の意を表し、補償や名誉回復を約束した。
私自身、10年以上前にハンセン病の国立療養所「多磨全生園」を訪れる機会があった。
その時に入所者の方々が涙ながらに語られた家族や故郷への思いは、今でも忘れることができない。
別れ際に入所者の方が差し出された手は、病気の後遺症で変形していた。
その手を握り返しながら、自分の心の弱さを実感した。
絶対に移らないと分かっているのに、怖さを感じてしまったのだ。
本当に情けないと自分を恥じると同時に、人間の心の弱さを改めて感じた。
人権は、だれにとっても身近で大切なものであり、必ず守られるべきものである。
しかし、私たちの心の中には、自分とは違う一面を持つ人を差別する気持ちが入り込んでくることがある。
その弱い気持ちに負けないためには、人権感覚を磨き続けなければならない。
自分の心に偏見の芽はないか、みんなと違うという理由だけで排除や差別をしていないか、弱い立場の人をいじめていないかなど、常に自分自身を厳しく見つめることが大切である。
これは、中学生である皆だけでなく、我々大人も同じである。
世界大戦など20世紀までの反省の上に立ち、21世紀を全ての人の人権が尊重され、幸福が実現する時代にしたいとの願いを込めて「21世紀は『人権の世紀』である」とされてきた。
しかし、国家間の戦争や繰り返されるテロ、未だに解決されない様々な人権問題など、人権の世紀が実現したとは言い難い現状がある。
我々大人はもちろん、これから21世紀を支えていく皆も一緒になって人権感覚を磨き、21世紀を全ての人の人権が尊重され、幸福が実現する時代にしていこう。
12月4日から始まる「第76回人権週間」
今年もテーマは「『誰か』のことじゃない。」です。
「ハンセン病患者及び元患者」の問題をはじめ、様々な人権問題を同和問題や子供、障害者、LGBTQなどの様々な人権問題を「誰か」のことではなく「自分事」として捉えることが、何よりも大切です。
「人権の世紀」の実現に向けて、一緒に頑張りましょう!
谷川俊太郎さんに捧ぐ(校長室より No.50)
詩人の谷川俊太郎さんが、13日に御逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心から御冥福をお祈りいたします。
谷川さんは1952年に第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行されると、まもなく、詩作と並行して歌の作詞、脚本やエッセイの執筆、評論活動などを行うようになりました。
また、「スイミー」に代表されるように、翻訳にも取り組んでおられました。
本日の下野新聞の評伝(共同通信記者・杉本新氏)には、以下のように記されています。
谷川俊太郎さんは、日常に何げない言葉で詩を書いた。
読者は共感したり、笑ったり、不思議に思ったり。
その魅力は絵本や歌詞でも同じだった。
読むと気持ちが解きほぐされる。
もし谷川俊太郎という詩人がいなかったら、私たちの世の中は今より窮屈になっていたのではないだろうか。
(中略)
詩壇に登場してから70年余り。常に第一線に立ち、言葉について考え抜いた。
詩作を巡るインタビューでは
「詩の言葉は人間の意識下の世界を探って取り出そうとするところがある。矛盾したもののただ中に生きるのが人間だから、詩ではそういうことを書きたい」と語った。
(中略)
矛盾、苦悩を抱える人生であっても、今、生きていると全身で感じ、耳を澄ますこと。
その尊さを伝える詩は、人々を励まし、勇気づけた。
「生きる喜びや、世界の肯定の仕方を考えている」とも話した。
(中略)
素朴でいて奥深い。読者に希望をもたらす。
そんな詩人を私たちは失った。
だが残された数々の言葉は、闇を照らす星のように今日も輝いている。
谷川さんがいなければ、やはり世の中は今より窮屈だったに違いない。
難解で読者も離れていった戦後の一部の現代詩に反発するように、生活に根ざした日常語に光を当て、平易な言葉で深く広い世界に誘うの谷川さんの詩
その世界に深く共感するとともに、哀悼の意を込めて大好きな詩「二十億光年の孤独」を掲載します。
生徒の皆さんも是非、谷川俊太郎さんの世界に触れてみてみてください。
二十億光年の孤独 谷川俊太郎
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
読書の秋(校長室より No.49)
今度の日曜日、10月27日から2週間の期間で「2024年第78回読書週間」が始まります。
終戦の2年後の1947(昭和22)年、まだ戦争の傷あとが日本中のあちこちに残っているとき、「読書の力によって、平和な文化国家を創ろう」と、出版社・取次会社・書店と図書館が力をあわせ、そして新聞や放送のマスコミも一緒になり、第1回「読書週間」が開かれました。
第1回「読書週間」は11月17日から23日でした。
これはアメリカの「チルドレンズ・ブック・ウィーク」が11月16日から1週間であるのにならったものです。
各地で講演会や本に関する展示会が開かれたり、読書運動を紹介する番組が作られました。
今の10月27日から11月9日(文化の日をはさんで2週間)になったのは、第2回からです。
それから約80年、「読書週間」は日本中に広がり、日本は世界のなかでも特に「本を読む国民」の国となりました。
今年の標語とポスターは以下のとおりです。
そのこともあり、先週10月16日の全校朝会では、読書を中心に話をしました。
主な内容は、以下のとおりです。
初めに、郡市新人大会や各種コンクール等での本校生徒の活躍の様子をスライドショーで視聴、今後の更なる活躍をお願いした。
秋は、過ごしやすく何をするにもよい季節である。
今日は「読書の秋」ということで、読書に注目して話をする。
残念なことに、ここ数年読書離れが加速していて、若者はもとより大人も本を読まなくなっている。
昨年、文化庁が16歳以上を対象に行った調査では、1か月に1冊も本を読まない人の割合、つまり不読率が初めて半数を越え、62.6%となった。
この調査は5年おきに行われているが、前回調査よりも不読率は15.3ポイントも増加した。
果たして、皆さんは1か月にどれぐらい本を読んでいるだろうか。
今年度は、「学級読書の日」を設定して定期的に図書室の活用を促しているため、昨年よりは月当たりの読書冊数が増加していることと思う。
では、なぜ読書は必要なのか。
それは、読書をすることで、読解力や想像力,思考力,表現力等が養われるとともに、多くの知識を得たり、多様な文化を理解したりすることができるようになるからである。
また、文学作品に加え、自然科学・社会科学関係の書籍や新聞、図鑑等の資料を読み深めることを通じて、自ら学ぶ楽しさや知る喜びを体得し、更なる探究心や真理を求める態度が培われるからである。
もう少しイメージしやすい言葉で表現すると、読書によって自分の知らないことが明らかになり、世界が広がる。
そのことが、豊かな人生を送る上でとても大切なのだ。
厳しい話だが、中学校で義務教育は終わり、卒業後にどのような進路を選ぶかは、自分で考えなければならない。
また、成人して自分で働くようになれば、基本的には自由で、どう生きるかは自分で決める必要がある。
そのように進路や生き方を決めるときには、「大きな地図=知っている世界の広さ」と「正確な羅針盤=進むべき方向を示すもの」が必要である。
読書をすることで、地図の大きさはどんどん広がり、羅針盤はより正確なものとなっていく。
そして、最も大切なことは、その年代のときにしか得られない感動、深い気付きがあるということ。
中学や高校時代に感銘を受けた本を、大人になってから読み返しても、若いときのような感動がなく、さらりと流れてしまうことがある。
そのときしか感じられない感動や深い気付きは、特に感受性豊かな中学・高校時代に多い。
読書は後で、大人になってからすれば良いというのは大きな間違いで、今だからこそ読むべきなのだ。
最後に、私から中学生におすすめの本を3冊ほど紹介する。
1冊目は、辻村深月さんの『かがみの孤城』である。
学校に行けない7人の子供たちの再起の物語
全てがつながるラストは、明日への希望満載で、生きづらさを感じている人への素敵なプレゼントとなるはず。
2冊目は、ダニエル・キイスさんの『アルジャーノンに花束を』である。
幼児並みの知能しか持たなかったチャーリィは手術により知能を向上させる。
今まで知らなかった愛や憎しみ、喜びや孤独を知った先にあるのは果たして…涙なしには読めない名作
3冊目は、寺地はるなさんの『水を縫う』である。
主人公である手芸好きの男子高校生のまわりの人間模様から、「普通」を押し付けられることの違和感が描かれている。
そもそも普通とは何なのか。世の中の普通を踏み越えていく、清々しい家族小説である。
どの本も図書室にあるので、是非,借りて読んでみてほしい。
秋の夜長、家族皆で良書に親しまれることを期待する。
自然と人間(校長室より No.48)
本日、10月2日付けの下野新聞に環境省の調査結果が掲載されていました。
全国各地で自然の長期的な変化を調べたところ、里山や里地にいる鳥やチョウなどの身近な生物の個体数が急速に減っていることが分かったそうです。
中でも、スズメやオナガなど、どこにでもいる普通種の減少が深刻なようです。
同日の同紙の紙面には、元京都大学長で霊長類の研究者でもある、山極寿一氏の論説が掲載されていました。
その一部を要約します。
関野吉晴氏の映画が教えてくれる最も大切なことは、私たち現代人が自然の循環から外れた道を歩んでいる事実であろう。
動物たちが分解できない薬物や人工添加物を摂取し、消化できないプラごみを大量にまき散らし、シロアリがつかない材料で家やビルを建てる。
土壌をコンクリートで固め、化学肥料や農薬で汚染し、分解者たちを排除してしまう。
人間が循環の道を外れるどころか、自然の流れを断ち切り、生物圏を崩壊させているのだ。
都市生活はその最たるもので、映画の中に出てくる東京の玉川上水を分断する道路計画もその危惧を抱かせる。
この川は動植物たちの貴重な連携の通路である。
自分たちの便宜だけを考えて自然を改変すれば、必ず自然からのしっぺ返しを受ける。
壊れた自然は元には戻らない。
そうならないうちに、私たちの日々の営みを自然の流れに沿って見つめ直さなければならない。
地球環境が大きく変動し始めている今、自然のリサイクルは待ったなしの緊急課題だと思う。
本日の真岡市の最高気温は、31.1℃でした。
10月としては異例の暑さであり、昨日、今日と全国でも多くの地点で30℃以上の真夏日となっています。
このような急激な気候変動も、人間のわがままな日々の営みの結果かもしれません。
私たち人間は、自然の中で生かされていることを忘れてはいけないと思います。
本校では、全学年で総合的な学習の時間に、「SDGs」についての探究的な学びを進めています。
そこでの学びが、将来の地球環境保全への原動力になることを信じています。
2年連続の「観測史上最も暑い夏」と「東中SDGs宣言」(校長室より No.47)
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、今週に入ってやっと猛暑が落ち着き、秋の気配を感じるようになりました。
熱中症のリスクも下がり、少し安心しているところです。
昨年の夏は、全国の平均気温が1898年の統計開始以来最高となり、「観測史上最も暑い夏」となりましたが、今年も同様の平均気温を記録し、2年連続の「観測史上最も暑い夏」となってしまいました。
果たして、この猛暑は何が原因なのでしょうか。地球の過去の気候変動を基に考えてみたいと思います。
地球の大気には生命活動に必須の酸素がふんだんにあり、温室効果をもつ二酸化炭素が適度にブレンドされている。
そのため、地表の年平均気温は15℃前後で、昼夜の寒暖差も小さく、生命にとってまさに「奇跡の星」となっている。
現在は非常に穏やかな気候になっているが、地球が約46億年前に誕生してから現在に至るまで、その気候は激しく変化してきた。
◆地球は過去において複数回、赤道付近まで氷に覆われる「スノーボールアース(雪玉地球)」の時代を経験している。氷床の厚さは1000m以上にも及び、液体の水は深海底や火山周辺の地熱地帯にしか存在しなかった。反対に、恐竜の全盛期と言われる白亜紀は非常に高温で、極地方にすら氷床が存在しない「グリーンハウスアース(温室地球)」の状態であった。
◆現在は、氷河時代の比較的温暖な時期である間氷期であり、氷床はグリーンランドや南極大陸など極地方にのみ存在している。
◆気候変化の要因は様々だが、最も大きな影響力を持つのが大気中の二酸化炭素濃度である。急激な気候変動にブレーキを掛け、一定の振幅に収めているのは、大気とそれ以外の地球(海やマントルなど)との間の炭素のやりとりである。
◆しかし、近年、この抜群のフィードバックシステムにほころびが生じている。原因は、化石燃料の使用に伴う、二酸化炭素を中心とした温室効果ガスの大気中への大量放出である。間氷期には約280ppmでほぼ一定だった二酸化炭素濃度は、産業革命以降増え続け、2018年には400ppmに達している。わずか250年足らずで1.4倍に急増、この急激な二酸化炭素濃度上昇と連動するように地球の平均気温は上昇し、2017年時点で産業革命前より1℃上昇、2040年頃には、1.5℃程度の上昇になると言われている。
◆このまま温暖化が進行すると、極域にある巨大氷床の融解が進み、海面が今より10~60m上昇する可能性があり、仮に海面が60m上昇すると海岸線が真岡市付近まで来るなど、関東平野はその大部分が水没してしまう。
(参考文献:「地球46億年 気候大変動」横山祐典 著 講談社)
このように、二酸化炭素濃度の上昇に伴う地球温暖化は、産業革命以降、非常に短期間で進行し、海面上昇や気候変動等により、世界に危機的状況をもたらしつつあります。
近年の世界的な猛暑も、地球温暖化が原因である可能性が高いことが指摘されています。
このことについて、私たち大人はもちろんですが、未来を生きる生徒たちにも、自分自身の問題として意識してもらう必要があります。
本校では、各学年とも総合的な学習の時間に「SDGs」に関する調べ学習等に取り組んでいます。
今年度中には、生徒会が中心となって「東中SDGs宣言」を発出し、今自分たちができることを明らかにするととももに、問題解決に資する具体的な取組をスタートする予定です。
アメリカ先住民の言葉に、「地球は先祖から譲り受けたものではない。子孫から借りているものだ。」というものがあります。
私たちの子孫に、「奇跡の星・地球」を持続可能な状態で返せるよう、「東中SDGs宣言」とともに真岡東中は確かな一歩を踏み出します。
共生社会の実現に向けて(校長室より No.46)
本日、全校朝会(リモート)で校長講話を行いました。
主な内容は以下のとおりです。
1つ目は、9月2日のかき氷のことである。
パパさん学校応援隊の皆様の協力により、今年も全生徒にかき氷が振る舞われた。
このかき氷は、夏休み明けでストレスを感じる生徒も多いことから、皆を少しでも元気付けようと始まったもので、今年で3回目になる。
しかし、「かき氷おいしかったね。」で終わりにしないでほしい。
当日、猛暑の中1人で100杯以上のかき氷を作ってくれたことはもちろん、かき氷器を借りてくることやブロック氷の手配など、大変な手間がかかっている。
また、平日なので、パパさん学校応援隊の方々は、仕事を休んで学校まで来てくれた。
是非、これらのことに思いをはせて、感謝の気持ちを持ってほしい。
これから皆は、長い人生の中で多くの方々にお世話になり、様々な形で手助けしてもらうと思う。
そのようなときには、「感謝」の気持ちを忘れず、言葉で伝えるとともに、行動で示すことが大切。
先日のかき氷で言えば、皆さんが明るく元気いっぱいに学校生活を送ることが、何よりの恩返し。
これからも様々な支援に対する「感謝」の気持ちを忘れず、行動で恩返ししていこう。
2日目は、「中秋の名月」についてである。
昨日、9月17日は「中秋の名月」だった。
多くの人が月見を楽しんだことと思う。
中秋の名月とは、旧暦(太陰太陽暦)の8月15日の夜に見える月のことを指す。
古来、日本では「春は花、秋は月」を愛で、季節を楽しんできた。
月見は「中秋の名月」を鑑賞する伝統的な行事です。澄み渡る秋の夜空に昇る月に、人々は収穫の感謝を込めて祈り、来年の豊作を願った。
皆の自宅でも、お団子をお供えし、ススキの穂を飾り付けたところも多いのではないだろうか。
お団子は月に見立て、ススキの穂は稲穂に見立てている。
また、意外なことに、中秋の名月は必ず満月になるわけではなく、実は今日18日が満月になる。
中秋の名月と満月の日付がずれることはしばしば起こり、これは、中秋の名月は太陰太陽暦の日付(新月からの日数)で決まるのに対して、満月は、太陽、地球、月の位置関係で決まるからである。
ところで、月は季節にかかわらずいつでも見られるのに、なぜ昔から秋の月は美しいといわれるのか。
それは、秋の空気は水分量が春や夏に比べて少なく乾燥しているため、澄んだ空気が月をくっきりと夜空に映し出すからである。
今日が晴れれば、是非、秋の満月を楽しみ季節感を肌で感じてほしいと思う。
最後、3つ目は、先日閉幕したパラリンピックについての話である。
皆もよく知っているオリンピックシンボル、五輪のマークは、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、オセアニアの5大陸の団結とオリンピック競技大会に世界中から選手が集うことを表現している。
そして、パラリンピックにも「スリー・アギトス」と呼ばれるのシンボルロゴがある。
「アギト」とは、ラテン語で「私は動く」という意味で、困難なことがあってもあきらめずに、限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現している。
パラリンピックは障害者を対象として行われている国際競技大会で、4年に一度、オリンピック終了後に同じ会場を使用して開催されている。
始まりは、1948年の第14回ロンドン大会の開会式の日に、イギリスのストーク・マンデビル病院でリハビリ治療の一環として、ドイツ人医師のルートヴィヒ・グットマンにより開催された、車いす患者によるアーチェリー大会だと言われている。
当初は障害者の治療・リハビリという側面が強かったパラリンピックですが、現在はアスリートによる競技スポーツへと発展している。
出場者も「車いす使用者」から対象が広がり、「もうひとつの(Parallel)+オリンピック(Olympic)」という意味で、「パラリンピック」という公式名称も定められた。
私たちは、パラリンピック等を通して、障害を持ちながらも懸命に頑張るパラアスリートに声援を送るのはもちろん、このような機会を生かして、障害者への理解を深め、障害の有無にかかわらず様々な人々が生き生きと活躍できる「共生社会」の実現に向けて、思いを新たにする必要がある。
そのためには、障害者の問題を自分事として捉えることが何よりも大切である。
そこで、本校では今年の12月5日に「あすチャレ!スクール」を活用して、パラスポーツ体験型出前授業を実施する予定である。
視覚障害のある元パラリンピアンの高田朋枝さんに来ていただき、ゴールボールの体験を行う。
このような機会を生かして、一緒に共生社会の実現に取り組んでいこう。
私たち大人の取組はもちろん、これからの時代を担う皆さんの情熱により、共生社会が実現することを強く願っています。
だいじょうぶだよ(校長室より No.45)
昨日、9月16日(月)は、敬老の日でした。
敬老の日は、2002年までは毎年9月15日でしたが、「ハッピーマンデー制度」の導入により、「9月の第3月曜日」に変更されました。
昨日は、生徒の皆さんの中にも、おじいちゃんやおばあちゃんのお祝いを一緒に行った人がいると思います。
総務省の統計によると、65歳以上の高齢者は3625万人で、日本の全人口の約3割に当たります。
敬老の日がスタートした1966年当時の高齢者は600万人台でしたので、短期間で一気に増加したことが分かります。
今後、ますます高齢化は進んでいくことでしょう。
高齢者が住みよい世の中にしていくためには、どうすればよいでしょうか。
参考に長谷川和夫先生作の絵本「だいじょうぶだよ ーぼくのおばあちゃんー」を紹介します。
医師である長谷川先生は、日本の認知症研究の先駆けであり、第一人者です。
患者が認知症かどうかを判断する「長谷川式簡易知能評価スケール」の発案者としても有名です。
そんな長谷川先生は、自身が認知症を発症したことを公表し、当事者の目から見た認知症の実際を、講演や著書により広く世の中に発信されていました。
2021年に残念ながら永眠されましたが、長谷川先生の行動により、同じ病気に苦しむ患者さんやその家族の方々は、たくさんの希望をもらったものと思います。
「だいじょうぶだよ ーぼくのおばあちゃんー」は、認知症になったおばあちゃんとその家族の話ですが、長谷川先生の実体験がもとになっているようです。
認知症が進んだおばあちゃんが、家族での会話の席で、
「みなさん どなたですか? みなさんが だれか わからなくて…」と言います。
それに対して、孫の小さな男の子が、
「おばあちゃん、おばあちゃんは ぼくの おばあちゃんだよ。おばあちゃんが わからなくても、ぼくも ママも パパも おねちゃんも みーんな おばあちゃんのことを よーく しっているから だいじょうぶだよ。しんぱいないよ、おばあちゃん!」と声を掛けます。
それを聞いたおばあちゃんは、不安な気落ちが和らぎ、笑顔を取り戻すという内容です。
人生100年時代が到来しようとしている今、認知症の問題は避けては通れない問題です。
誰もが発症の可能性があります。
そのとき、この男の子のような声掛けが自然とできるような、そんな優しい世の中であってほしいと思います。
「挑戦」への心構え(校長室より No.44)
いよいよ今日から2学期がスタートしました。
心配された台風の影響もなく、元気いっぱいの生徒の皆さんと再会できたことをうれしく思います。
1学期の終業式では、「前へ」という言葉とともに、夏休み期間中の「新たな一歩」を皆さんに求めましたが、果たして勇気を持って一歩前に踏み出し、新しい景色に触れることができたでしょうか。2学期も是非、「前へ」進む気持ちを大切にしてほしいと思います。
第2学期始業式は、LEDに換装されて明るくなった体育館で実施しました。
式辞の主な内容は、以下のとおりです。
今日は式辞の中で、部活動のこと、2学期の期待、飛躍のためのメッセージの3つについて話す。
1つ目の部活動については、陸上部の男子選手が7月23日に行われた県総体陸上競技大会の走り高跳びで、自己ベストを大幅に更新する1m85cmを跳び、見事全国大会出場を果たした。
これは、日頃のたゆまぬ努力の成果であり、本校の歴史に新たな輝かしい1ページを刻んでくれた。
また、吹奏楽部が、夏休みに行われた栃木県吹奏楽コンクールで上位入賞を果たし、5年連続の東関東吹奏楽コンクールへの出場が決定した。
9月21日に千葉県で行われる東関東でも、上位入賞を期待している。
そして、9月19日には郡市新人陸上が、そして9月27日からは郡市新人各種大会が行われる。
3年生の頑張りに負けないよう、1・2年の活躍を大いに期待している。
2つ目は、2学期の期待についてである。
2学期は3つある学期の中でも最も長く、気候的にも過ごしやすい秋が中心だから、大きな成果が期待できる学期である。
また、ひがし野祭や駅伝フェスティバルなどの大きな行事があり、部活動も新人戦やコンクール、展覧会などが目白押しである。
行事や大会等に進んで真剣に取り組み、チャンスを逃さず、自分を大きく伸ばしてほしい。
3年生には、ひがし野祭を中心に、まさに東中の顔として中心となって活躍してくれることを期待している。
そして、何よりも来年に控えた受験に向けて確かな学力を身に付け、夢への扉を自分自身の手でしっかりと開けてほしい。
2年生は、3年生の後を受け継ぐ、大切な学期となる。
部活動もほぼ新チーム、新体制となり、生徒会役員選挙も12月に予定されている。
3年生の思いをもとに、東中のよき伝統を引き継ぎ、更に発展させる、そんな活躍を期待している。
1年生は、中学生としての土台を作り上げる大事な学期である。
土台が小さいと小さな建物しか建たないが、土台が大きくしっかりしていれば、どんな大きな建物も建てることができる。
先輩を見習いながら、その土台をしっかりと作ってほしい。
最後に3つ目。そのような大切な2学期を迎える皆に、1つのメッセージを送る。
それは「挑戦」という言葉に関することである。
将棋の羽生善治九段は、「挑戦」に関して、次のように述べている。
「何かに挑戦したら、確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ『情熱、気力、モチベーション』を持って継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。」
このように、「挑戦」には成功は約束されていない。
だからこそ、相当の情熱、気力が必要であり、途中で諦めたりしない、鋼のような強い意志が必要となる。
今年で54歳になる羽生善治九段は、中学生でプロ棋士なり、19歳で初タイトル・竜王を獲得、2017年に史上初の永世七冠を達成するなど、将棋界の記録を次々と塗り替えてきた。
そして、2018年には、棋士として初めて国民栄誉賞を受賞されている。
そんな羽生善治九段の言葉だから、非常に重みがある。
皆は、これから様々なことに挑戦していくことだろう。
その際、すぐに成果が上がることはまれだなはずだ。
「こんなに頑張っているのでに、どうしてだめなんだ。」とくじけそうになることも多いと思う。
でも、簡単には諦めないでほしい。
成功をつかんだ多くの人たちは、例外なく強い意志を持って挑戦し続けてきた。
これから様々なことに挑戦していく皆が、挑戦しようと決めたときと同じ「情熱、気力、モチベーション」を持って努力を継続し、成功を手にすることを信じている。
2学期の皆さんの頑張りを期待し、楽しみにしています。
前へ(校長室より No.43)
先週、19日(金)に第1学期終業式を行いました。
私の式辞では、各学年なりの1学期間の成長を確認するとともに、郡市・県総体等での活躍を称えました。
そして、夏休みの心構えとして「前へ」という言葉を紹介しました。
その概要は、以下のとおりです。
自分を大きく伸ばすチャンスである夏休みを迎える皆に、その心構えとして「前へ」という言葉を贈る。
この言葉は、長きにわたって明治大学ラグビー部の監督を務めた北島忠治(ちゅうじ)氏が唱えたスローガンである。
この上なくシンプルだが、勇気を与えてくれる力強い言葉だと思う。
北島監督は28歳のときに明治大学ラグビー部の監督になり、95歳で亡くなるまで現役の監督で居続けた。
67年もの監督生活の中で、選手たちに言い続けたことはただ一つ、「前へ」だったのだ。
細かい戦略を言うのではなく、スパルタでしごくのでもなく、「前へ」の精神で、弱小だった明治大学ラグビー部を日本一にまで押し上げた。
「前へ」というスローガンは、勝ち負けよりも前へ進むことを重んじる精神を示している。
もちろん試合において勝つことは重要だが、それ以上に、困難な状況でも逃げずに前へ進んで乗り越えていく生き方を学んでほしいという北島監督の思いがあった。
これが明大の明解なラグビースタイルとなり、たとえば「横へパスを回せばトライできる」ようなシーンでも、絶対に前に押すようになった。
それで負けることがあっても、これはもう精神として明治大学ラグビー部に根付いていった。
ラグビーだけでなく人生においても、困難なことに出会ったりしたときに、もちろん横へ逃げる方法もある。
しかし、迷ったらとにかく「前へ」の精神で踏み込んでいくことが大切で、信じて進むと、自然と道は拓けてくる。
皆が生きるこれからの時代は、人工知能の急速な進化などにより、予測困難な変化の激しい時代になる。
だからこそ、あれこれ迷っているよりは「前へ」踏み出してほしい。
一歩が無理なら半歩でもいいから、とにかく踏み出すことが大切だ。
勇気をもって踏み出せば、必ず景色が変わる。
いよいよ明日から夏休み。
長い休みは、自分を変える良いきっかけでもある。
東中伝統の「心意気」と共に、皆の一人一人が勇気を持って「前へ」踏み出してくれることを信じている。
2学期の始業式には、新しい景色に触れ、一段とたくましくなった皆と再会することを楽しみにしている。
例年、夏休みには水難事故が発生し、尊い命が失われます。
終業式終了後には、生徒指導主事から、川では絶対に泳がないことや海の離岸流の危険性について、具体例を挙げて注意喚起してもらいました。
約束も守り、安全な生活を心掛けましょう。
また、自分一人では快活できない悩みがあったら、必ず学校やしおりに載っている相談機関に電話をしてください。
9月2日(月)、元気な生徒の皆さんとの再会を楽しみにしています。
『「前へ」明治大学ラグビー部 受け継がれゆく北島忠治の魂』明治大学ラグビー部著、カンゼン出版社
わが教師十戒(校長室より No.42)
過日、総合教育センターで研修があった際、毛涯章平氏の「わが教師十戒」の紹介を受けました。
早速、掲載されている氏の書籍「肩車にのって」を購入しました。
以下、一部抜粋です。
わたしは、子どもたちを教えてきたつもりでいながら、実は、ずいぶんと教えられてきたように思う。
純粋な子どもの姿に、珠玉の輝きを見て心うたれたり、ときには、うっかりして子どもの心をひどく傷つけてしまい、「これで自分は『先生』といえるのだろうか」と、恥じいったことが、幾たびあったことだろう。
そのようにして年を重ねるうちに、わたしの中に、教師としての「自戒」のことばが凝縮してきた。それを、『わが教師十戒』として、われと我が身に言いきかせてきた。
それは、つぎの条々である。
1 子どもを、こばかにするな。教師は、無意識のうちに子どもを目下の者と見てしまう。子ども は、一個の人格として対等である。
2 規則や権威で、子どもを四方から塞いでしまうな。必ず一方を開けてやれ。さもないと、子どもの心が窒息し、枯渇する。
3 近くにきて、自分を取り巻く子たちの、その輪の外にいる子に目を向けてやれ。
4 ほめることばも、叱ることばも、真の「愛語」であれ。「愛語」は、必ず子どもの心にしみる。
5 暇をつくって、子どもと遊んでやれ。そこに、本当の子どもが見えてくる。
6 成果を急ぐな。裏切られても、なお、信じて待て。教育は根くらべである。
7 教師の力以上には、子どもは伸びない。精進をおこたるな。
8 教師は「晴明」の心を失うな。ときには、ほっとする笑いと、安堵の気持ちをおこさせる心やりを忘れるな。不機嫌、無愛想は、子どもの心を暗くする。
9 子どもに、素直にあやまれる教師であれ、過ちは、こちらにもある。
10 外傷は赤チンで治る。教師の与えた心の傷は、どうやって治すつもりか。
いま、ふりかえってみると、どれだけ「自戒」を守り得たか、はずかしい限りである。できることなら、この『十戒』をもとに、最初からやりなおしたいと思うこのごろである。
この「わが教師十戒」については、今まで何度か触れたことはありあしたが、改めて読み返してみて、子供を対等な人格を持つ一人の人間として、丁寧に、そして真摯に向き合う大切さに気付かされます。
私たちがついおろそかにしがちなことについて、改めて教職員で共有し、子供にとって明日が楽しみな、よりよい学校づくりを推進して参ります。
【参考】
毛涯 章平 氏
大正12年12月9日、長野県飯田市千栄に生まれる。昭和18年長野県松本市立田町国民学校をふり出しに、以後長野県内小中学校に勤務。昭和43年長野県教育委員会指導主事、昭和47年長野県上伊那郡高遠町立藤沢小学校長、昭和50年信州大学教育学部附属長野中学校副校長、昭和58年3月退職。この間、下伊那教育会長・同校長会長・長野県中学校長会長・長野県中学校体育連盟会長・全日本中学校長会理事等を歴任し、昭和57年文部大臣より教育功労者表彰を受ける。昭和61年下伊那郡豊丘村教育委員会教育委員長職務代理、昭和63年下伊那郡豊丘村教育委員会教育委員長就任、飯伊市町村教育委員会連絡協議会会長、平成17年3月退任。春の叙勲で「瑞宝双光章」受章。
「ふきのとうの餞別」、「肩車にのって」、「ただひたすらに」など先生の著書は、先生の子どもに対する温かい眼差し、包み込むような優しさから、全国の教師を目指す人たちのバイブルとなっている。
やってみなはれ(校長室より No.41)
先週、22日(水)に全校朝会を行いました。
前半、教頭先生がスライドを用いて18日(土)に実施した「春季運動会」の振り返りを行いました。
生徒たちの熱く生き生きとした表情に、感動がよみがえってきました。
晴天に恵まれた運動会は、生徒たちにとって成長への貴重な機会になりました。
後半の私の講話でしたが、概要は以下のとおりです。
運動会は、3年生を中心とした生徒全員の頑張りで、思い出に残る最高のものになり、学級の団結も大いに高まった。
また、今年は初めての試みとして、真岡病院に併設されている介護老人保健施設「わたのみ荘」の皆さんを招待した。
御来校いただけた入所者の方は3名ほどと少なかったが、皆の全力の演技に感動し涙を流されている方もいらっしゃった。
皆が本気で、全力で取り組む姿は、多くの人に感動を与え、元気づけることにつながる。
これからも多くの人に感動や元気を届けられる、皆の全力の取組を期待している。
今後の活躍を期待する皆に、「やってみなはれ」という言葉を贈りたい。
「やってみなはれ」という言葉は、サントリーの創業者であり、日本の洋酒文化を切り拓いた鳥井信治郎さんの口ぐせである。
鳥井さんは、後にニッカウヰスキーの創業者となる竹鶴政孝さんと協力して国産ウイスキーの製造販売に挑戦し、幾多の失敗、苦難を乗り越えて、見事日本初の国産ウイスキーを完成させ世に送り出した。
社長として「赤玉ポートワイン」を大ヒットさせた鳥井さんが、会社の役員会でウイスキーの製造を発表すると、全役員が反対した。
まだ、日本ではウイスキーが造られておらず、原酒を6・7年寝かせる間の資金もないから当然だ。
しかし、鳥井さんは理屈ではなく、「やってみなはれ。やらなわかりまへんで。」と言って反対を押し切った。
そして、ウイスキー造りを始めて13年目、ついに国産初の本格ウイスキーを誕生させた。
鳥井信治郎さんの口ぐせ「やってみなはれ」は、未知の分野にも果敢に挑戦していく、チャレンジ精神あふれる言葉だ。
東中3大行事も、まだ「ひがし野祭」と「駅伝フェスティバル」が残っている。
ほかにも様々な学校行事があり、その一つ一つが自分を変えるチャンスであると同時に、成長につながる貴重な機会だ。
是非、「やってみなはれ」の精神で、生徒の皆が、学校行事など何事にも臆することなくチャレンジし、自らを大きく成長させることを期待している。
無限の可能性を秘めた東中生、「やってみなはれ。やらなわかりまへんで」
こどもの読書習慣2024「ひらいてワクワク めくってドキドキ」(校長室より No.40)
4月23日(火)~5月12日(日)までの約3週間は、「こどもの読書週間」です。
「こどもの読書週間」は、1959年(昭和34年)にはじまりました。
第1回は、日本書籍出版協会児童書部会が中心となって開催した「こども読書週間」(4月27日~5月10日)です。
この年は、ポスターではなくしおりを作成し、東京都内の書店やデパートで配布したと記録されています。
1959年11月に読進協が発足したので、翌1960年の第2回より、読書推進運動協議会が主催団体となり、名称を「こどもの読書週間」、期間を5月1日~14日(こどもの日を含む2週間)と定めました。
「こどもの読書週間」は2000年の「子ども読書年」を機に、現在の4月23日~5月12日の約3週間に期間を延長しました。
4月から5月にかけては、「国際子どもの本の日(4月2日)」「サン・ジョルディの日(4月23日)」などの記念日・関連イベントも多く、また、2001年12月に公布・施行の「子ども読書活動推進法」により4月23日が「子ども読書の日」となった影響もあって、「こどもの読書週間」は年々大きな盛りあがりをみせています。
2024年「第66回こどもの読書週間」の標語は、「ひらいてワクワク めくってドキドキ」です。
東中の図書室にも多くの新刊が配架されています。
以下に、おすすめの図書を紹介しますので、「こどもの読書週間」をきっかけに是非、読んでみてください。
〇成瀬は信じた道をいく(宮島未奈)
言わずと知れた2024年本屋大賞受賞作「成瀬は天下を取りに行く」の続編
成瀬の人生は、今日も誰かと交差する。「ゼゼカラ」ファンの小学生、娘の受験を見守る父、近所のクレーマー主婦、観光大使になるべく育った女子大生……。
個性豊かな面々が新たに成瀬あかり史に名を刻む中、幼馴染の島崎が故郷へ帰ると、成瀬が書置きを残して失踪しており……!?
読み応え、ますますパワーアップの全5篇!
〇みつばの郵便屋さん1~8(小野寺史宜)
郵便配達員・平本秋宏には年子の兄弟がいて、いまやちょっとした人気タレント。
一方、秋宏は顔は兄とそっくりだが、性格はいたって地味、なるべく目立たないようにしているのだが……。
「あれ、誰かに似ていない?」季節をかけぬける郵便屋さんと街の人たちが織りなす、小さな奇蹟の物語。
〇勿忘草をさがして(真紀涼介)
一年前、偶然出会ったお婆さんに会いたい。
しかし手掛かりは、庭に良い匂いの沈丁花が咲いていたことと、その庭でお婆さんが発した不可解な言葉だけ……。
思わぬトラブルによりサッカー部を辞め鬱屈した日々を送る航大。
春を告げる沈丁花の香りに、親切にしてくれたお婆さんのことを思い出し、記憶を頼りにその家を探していたところ出会ったのは、美しい庭を手入れする不愛想な大学生拓海だった。
拓海は植物への深い造詣と誠実な心で、航大と共に謎に向き合う。
植物が絡むささやかな“事件”を通して周囲の人間関係を見つめなおす、優しさに満ちた連作ミステリ。鮎川哲也賞優秀賞受賞作。
〇リカバリー・カバヒコ(青山美智子)
新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。
近くの日の出公園にある古びたカバの遊具・カバヒコには、自分の治したい部分と同じ部分を触ると回復するという都市伝説がある。
人呼んで、”リカバリー・カバヒコ”。
アドヴァンス・ヒルに住まう人々は、それぞれの悩みをカバヒコに打ち明ける。
急な成績不振に悩む高校生、ママ友たちに馴染めない元アパレル店員、駅伝が嫌でケガをしたと嘘をついた小学生、ストレスからの不調で休職中の女性、母との関係がこじれたままの雑誌編集長……
〇リラの花咲くけものみち(藤岡陽子)
幼い頃に母を亡くし、父が再婚した継母とうまくいかず不登校になった岸本聡里。
愛犬のパールだけが心の支えだった聡里は、祖母・チドリに引き取られペットたちと暮らすうちに獣医師を目指すように。
北農大学獣医学類に進学すると、慣れない寮生活が始まった。
面倒見のよい先輩、気難しいルームメイト、志をともにする同級?らに囲まれ、学業や動物病院でのアルバイトに奮闘する日々。
伴侶動物(ペット)の専門医を目指していた聡里だが、馬や牛などの大動物・経済動物の医師のあり方を目の当たりにし、「生きること」について考えさせられることに…。
ネガティブだった聡里が北海道で人に、生き物に、自然に囲まれて大きく成長していく姿を描く感動作。
科学技術週間に思う(校長室より No.39)
少し前の話になりますが、令和6年4月15日(月)~21日(日)までの1週間は、「科学技術週間」でした。
科学技術週間は、科学技術について広く一般の方々に理解と関心を深めていただき、日本の科学技術の振興を図ることを目的として昭和35年2月に制定されました。
日本が真に豊かな国として発展し世界の平和と繁栄に貢献していくためには、「教育・文化立国」を実現するとともに、社会経済発展の原動力となる「知」の創造と活用に向けて「科学技術創造立国」の実現を図ることがとても重要です。
最近では、次代を担う青少年の「科学技術離れ」「理科離れ」も指摘されています。青少年の科学技術に親しむ機会を充実することも将来の日本にとって大切なことです。
そのようなこともあり、本校では今年度から「理科研究会」を始めることとしました。
「ロボコン研究会」と同じように、自分が所属している部活動に加える形での参加となります。
研究成果は、日本学生科学賞や栃木県理科研究展覧会などで発表する予定です。
多くの生徒の参加を期待しています。
なお、科学技術週間に合わせて、日本人ノーベル賞受賞者一覧を掲載します。
1949年…湯川 秀樹氏、ノーベル物理学賞、中間子の存在を予言
1965年…朝永 振一郎氏、ノーベル物理学賞、量子電気力学での業績
1968年…川端 康成氏、ノーベル文学賞、日本人の心の本質を繊細に表現
1973年…江崎 玲於奈氏、ノーベル物理学賞、半導体でのトンネル効果を発見
1974年…佐藤 栄作氏、ノーベル平和賞、非核三原則の提唱
1981年…福井 謙一氏、ノーベル化学賞、フロンティア電子理論
1987年…利根川 進氏、ノーベル生理学・医学賞、抗体多様性の遺伝的原理を解明
1994年…大江 健三郎氏、ノーベル文学賞、苦境にある現代人の姿を表現
2000年…白川 英樹氏、ノーベル化学賞、導電性高分子の発見と発展
2001年…野依 良治氏、ノーベル化学賞、キラル触媒による不斉反応の研究
2002年…小柴 昌俊氏、ノーベル物理学賞、ニュートリノの観測に成功
田中 耕一氏、ノーベル化学賞、タンパク質のイオン化に成功
2008年…南部 陽一郎氏(米国籍)、ノーベル物理学賞、自発的対称性の破れの発見
小林 誠氏、益川 敏英氏、ノーベル物理学賞、CP対称性の破れの起源の発見
下村 脩氏、ノーベル化学賞、緑色蛍光タンパク質の発見と開発
2010年…鈴木 章氏、根岸 英一氏、ノーベル化学賞、クロスカップリング反応の開発
2012年…山中 伸弥氏、ノーベル生理学・医学賞、iPS細胞の作製
2014年…赤崎 勇氏、天野 浩氏、中村 修二氏(米国籍)、ノーベル物理学賞、青色発光ダイオードの発明
2015年…梶田 隆章氏、ノーベル物理学賞、ニュートリノ振動の発見
大村 智氏、ノーベル生理学・医学賞、寄生虫による感染症の治療法発見
2016年…大隅 良典氏、ノーベル生理学・医学賞、オートファジー(自食作用)の解明
2018年…本庶 佑氏、ノーベル生理学・医学賞、免疫の働きを抑える分子の発見とがん治療への応用
2019年…吉野 彰氏、ノーベル化学賞、リチウムイオン二次電池の開発
2021年…眞鍋 淑郎氏(米国籍)、ノーベル物理学賞、気候の物理的モデリング、気候変動の定量化、地球温暖化の確実な予測
28名の受賞者のうち、生理学・医学賞を含めれば、25名が科学系の功績での受賞ということで、日本の面目躍如といったところです。
東中生から未来のノーベル賞受賞者が誕生することを楽しみにしています。
3つの約束と心意気(校長室より No.38)
先週、4月10日(水)にオンラインで全校朝会を行いました。
初めに、1学期がスタートしてまだ3日目にも関わらず、「立場が人をつくる」という言葉どおり、3年生は最上級生らしくリーダーシップを発揮して東中をけん引し、2年生は中堅学年として1年生のよき手本となり、そして1年生は先輩を見習いながら、あっという間に中学生らしくなってきた生徒たちを称えました。
その後、「3つの約束」と「スローガン」について、話をしました。
主な内容は以下のとおりです。
3つの約束とは、「時を守る 場を清める 礼を正す」のこと。
これは、明治、大正、昭和、平成までの4つの時代を生きた哲学者、教育者である、森信三先生が唱えた言葉である。この3つのどれもが人として生きていく上でとても大切なものであることから、多くの学校で行動規範として活用されている。
「時を守る」については、「遅刻をしない、期日を守る」ということ。
定刻までには準備を整え、きたるべき時に備えて心を静めて開始を待つ姿勢が大切。
本校では、2分前着席や決められた期日までに提出物を提出することが当てはまる。
時を守る先には必ず相手があり、自らが時を守ることで、相手を尊重することになる。
「場を清める」については、「整理整頓をして、しっかりと掃除を行う」ということ。
清掃を一生懸命行うと、気付く人になれる、心が磨かれる、謙虚になれる、感謝の心が芽生えるなど、様々な心の成長が見込まれる。
本校では、清掃の時間の取組やロッカー・教室の整理整頓などが当てはまる。
「礼を正す」については、「気持ちのよい挨拶や返事を行い、敬意を表すために服装や身だしなみを整える。」とういこと。
挨拶には、「心を開いて、相手に迫る」という意味があり、挨拶をすることで人間関係は良好に保たれる。
また、服装や身だしなみを整えることは、相手に対する礼節につながる。
本校でも、気持ちのよい挨拶やきちんとした身だしなみは、当たり前のこととして実践してほしい。
森信三先生の3つの約束、「時を守る 場を清める 礼を正す」は人としての基本であり、本気で守ろうと思えば、誰でも必ず守れるもの。
中学生のときに、人としての基本をしっかりと身に付けておけば、社会人になっても他人からの信頼を得ることができるはず。
昨年度に引き続き「3つの約束」をしっかりと守るようにしよう。
今年度のスローガンも、引き続き「心意気 ~東中PRIDE~」とした。
「心意気」は、東中の校歌の冒頭にもあり、先輩方から連綿と受け継がれる東中の伝統とも言える言葉。
その意味は、「物事に積極的に取り組もうとする気構え。意気込み。強い意志。」のこと。
中学時代は心身共に大きく成長する時期で、皆さん一人一人が持つ、様々な可能性が大きく花開くときでもある。
しかし、自分がどんなことが得意で、どんな可能性を持っているのかは、なかなか分からない。
そこで、「心意気」を持っていろいろなことに挑戦し、自分の可能性を開花させてほしいという思いを、スローガンに込めた。
その際、大切なのは、東中生としての誇りを持って挑戦すること。
そこで、スローガンのサブタイトルに「東中PRIDE」の言葉を加えた。
「一人が一校を代表する」の言葉どおり、「東中PRIDE」は、自分が東中の代表なんだと自覚することから始る。
そして、「東中PRIDE」は、皆で創り受け継いでいくものである。
皆の心のよりどころになる、すばらしい「東中PRIDE」を創っていこう。
「心意気 ~東中PRIDE~」のスローガンのもと、皆が自分の力で、可能性を扉を開き、次のステップに進んでいくことを期待している。
令和6年度も「3つの約束」と「心意気」で大きな飛躍の年にしていきましょう!
ようこそ東中へ!歓迎、96名の新入生(校長室より No.37)
昨日、4月8日(月)に、満開の桜の下、真岡東中学校入学式を実施しました。
4年ぶりに御来賓の皆様の御臨席を賜り、新入生の入学を盛大にお祝いすることができました。
校長式辞では、新入生に以下の3つのことをお願いしました。
1 当たり前のことが当たり前にできる生徒になってほしい。
朝は自分で起きられる。誰にでも大きな声で挨拶ができる。人の話をきちんと聴くことができる。自分を振り返り反省することができる。
どれも当たり前のことばかりだが、なかなかできないものである。
人として当たり前のことができるようになることが、中学校生活を豊かで楽しくする第一歩である。
このことに関して、本校には「3つの約束『時を守る 場を清める 礼を正す』」がある。
進んで守ってほしい。
2 一生懸命に勉強してほしい。
中学校での学習は、小学校とはずいぶん違い、内容が難しくなり、より考える力が求められるようになる。
また、授業も教科ごとに先生が違う教科担任制になり、さらに、小学校にはなかった中間テスト・期末テストがある。
そのため、予習や復習などの家庭学習も計画的に行うことが大切。
日々の努力を欠かさず、皆さん一人一人が三年間で確かな学力を身に付け、自らの進路を自分の力で切り拓いてほしい。
3 何かに本気で打ち込み友情を育んでほしい。
本校では、3大行事である「運動会、ひがし野祭、駅伝フェスティバル」など様々な学校行事があり、大いに盛り上がる。
また、皆が楽しみにしている部活動も盛んで、関東大会や全国大会に出場し活躍している。
学校行事や部活動で一番大切なことは、本気で取り組むことである。
仲間と一緒に本気で取り組めば、そこに確かな友情が生まれる。
共に何かを成し遂げ、そこから生まれてくる友情は、一生の宝物である。
中学校生活を通して、友情を育み、生涯の友とできる人を探してほしい。
新入生の皆さんが、真岡東中学校の伝統である「心意気」をしっかりと受け継ぎ、中学校3年間で大きく成長されることを期待しています。
東日本大震災を忘れない(校長室より No.36)
13年前の今日、3月11日、14時46分。東北地方を中心に未曽有の被害をもたらした東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生しました。
元日に能登半島地震が発生したこともあり、3月11日を迎え、改めて当時の記憶がよみがえるとともに、防災に向けた取組について思いを新たにしました。
震災時、生徒たちはまだ幼く記憶もほとんどないことから、本校独自の指導資料を作成し、今後担任が東日本大震災の概要と具体的な避難行動等について指導する予定です。
指導資料の東日本大震災に関する概要は、以下のとおりです。
・東日本大震災は、東北地方太平洋沖地震により発生した災害である。
・震源は三陸沖の海底24km、地震の規模を表すマグニチュードは9.0~9.1という超巨大地震で、日本では観測史上最大、世界でも4番目ぐらいに大きな地震である。
・地震の揺れの大きさを表す震度は、宮城県で最大7を記録しており、また、本震の継続時間は約6分間と非常に長いのが特徴だった。
・巨大津波の発生により、甚大な被害が発生した。震源が地下24kmと浅く、地震の規模が非常に大きかったことが原因。津波のスピードは非常に早く、水深の深い沖の方では、時速800kmにもなる。水深が浅くなるとスピードは落ちるが、それでも時速36kmほどはあり、津波が近づいてから走って逃げても、逃げ切れない。
・東日本大震災で発生した津波は、最大で海岸から6kmの内陸にまで達し、津波の高さは最大16m、最大遡上高40m以上を記録した。
・この巨大津波により未曾有の災害が発生し、死者・行方不明者は2万人以上にも及び、13年が経過した今なお2万9千人ほどが避難生活を送っている。
・また、巨大津波により、福島第1原発の1~5号機で全ての電源を喪失し、原子炉を冷却できなくなり、1~3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。それに伴い、大量の放射性物質が空気中に拡散し、原発周辺が立ち入り禁止区域となった。
東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災から13年の月日が流れ、私を含め人々の記憶は薄れつつあります。
元日の能登半島地震は、まるで「自然の脅威を決して忘れてはいけない」との警告のようでした。
日本は、3つのプレートの境目に位置しているため、ある程度の周期で巨大地震が発生します。
次に、発生が予想されている巨大地震は、駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界を震源域とする「南海トラフ地震」です。
静岡県から宮崎県にかけての一部では、震度7の強い揺れが想定され、また、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い地域に10mを超える巨大津波の襲来が想定されています。
私たちにできることは、東日本大震災の教訓を生かし、「想定外」という言葉を使わずに済むように、最悪の事態を想定して災害に備えることです。
「3.11」の記憶と教訓を決して風化させることなく、本校では防災教育の充実を図って参ります。
コペルニクスとガリレオ(校長室より No.35)
先週2月15日はガリレオの誕生日でした。
そして、今週2月19日はコペルニクスの誕生日でした。
コペルニクスは1473年生まれ、ガリレオは1564年生まれですから、2人の間には100年弱の時間差があり、直接2人の人生が交わることはありませんでした。
御存知のように、2人は星の動きが地球の自転によるものだとする地動説を唱えたことで有名です。
まず、ポーランド出身の天文学者であるコペルニクスが、地球を中心に全ての星が回転しているとする天動説では説明のつかない星の動きを見つけ、晩年に著書「天体の回転について」で地動説を唱えます。
しかし、正式な出版を待たずにコペルニクスは亡くなってしまいます。
それから約100年の時を経て、イタリア出身の天文学者ガリレオが自ら発明した望遠鏡によって天体観測を行い、コペルニクスの地動説が正しかったことを証明します。
当時はキリスト教会が絶対的な力を持っており、聖書と矛盾することから地動説は否定されていました。
ガリレオは裁判に掛けられ地動説を撤回するよう強いられましたが、「それでも地球は回っている」という有名な言葉を残し、主張の撤回を拒みました。
それから程なくして、フィレンツェ郊外の幽閉先で視力を失い、間もなく息を引き取ったのです。
ガリレオの数々の理論は、現在の科学の基礎となりました。
仮説の検証に実験という手法を用いたのはガリレオが初めてであり、特にこの功績で、彼は「科学の父」と呼ばれています。
なぜ彼が、絶対の権力者・キリスト教会に対して、命がけで自分の考えを主張したのか、今となっては分かりませんが、きっと自分の中に生じた疑問、「なぜ?」をそのままにしておくことができなかったのでしょう。
そして、科学は権威に押しつぶされるようなヤワな学問ではなく、ましてや多数派意見によって正しさが証明されるものでもないこと身をもって示したかったのだと思います。
人間の飽くなき探究心によって、自然の摂理が日進月歩で解明されようとしている今日、日めくりカレンダーで2人の偉大な科学者の誕生日に触れ、科学は時代を動かし、時代を変える力を秘めていることを改めて確信しました。
人工知能の進化など科学技術の飛躍的発展が予想されるこれからの時代、科学と共に歩む生徒の皆さんの活躍を信じ、応援しています。
新しい時代に必要な力(校長室より No.34)
昨日、2月の全校朝会を実施しました。
今年度最後の全校朝会でしたが、感染症感染拡大防止のためオンラインでの実施となりました。
「日本人の季節感」と「新しい時代に必要な力」の2点について話しました。
主な内容は、以下のとおりです。
2月4日の立春を過ぎ、随分寒さも和らいできた。
「立春」というのは、二十四節気の一つである。
二十四節気は季節を表す言葉であり、古代中国で誕生し、日本には飛鳥時代に暦とともに伝わり、改良が重ねられた。
二十四節気は、1年を24分割するだが、その分け方は、日照時間が最も長い「夏至」と最も短い「冬至」で2分割。
昼夜の時間が同じ長さになる「春分」と「秋分」で4分割。
それらの間に「立春」「立夏」「立秋」「立冬」を入れて8分割、その8つをさらに3分割して24に分ける。
二十四節季には、「立春(2月4日)寒さも峠を越え春の気配が感じられる頃」、「雨水(2月19日)陽気がよくなり、雪や氷が溶けて水になり、雪が雨に変わる頃」、「啓蟄(3月5日)冬ごもりしていた地中の虫がはい出てくる頃」などがある。
今も昔も、日本人は、季節に寄り添いながら暮らしている。
日本以外にも四季のある国はたくさんあるが、ことさら日本人の季節感は称賛される。
それは、幼いころから自然に親しみ、繊細な感覚を身に付け、季節を楽しむすべを会得しているからだと思う。
是非、皆も「二十四節気」を意識して生活してほしい。
国際化、グローバル化が加速するこれからの時代だからこそ、日本のよさを感じ、日本人としての自覚を深め、自己がよって立つ基盤にしっかりと根を下ろすことが重要になりると考える。
次は、皆が生きる近未来の社会の様子について考えてみたい。
今現在も少子高齢化が進行しており、日本の65歳以上の高齢者の割合は昨年9月の時点で総人口の約29%、3623万人となった。
約25年後の2050年には、現在1億2400万人ほどの日本の人口が、3分の2のの8000万人程度になると予想される。
特に、若年層の人口減少が著しく、単純に人口比で言えば小・中学校の数も現在の3分の1で済むとの予想もある。
反対に、65歳以上の高齢者の割合が約40%程度になる見込みで、社会保障の面からも1人で1人を支える大変な時代になる。
では、世の中はどのように変わるのあろうか。
現在、第四次産業革命が進行していると言われている。
第一次産業革命では、蒸気機関などの動力の獲得、大量生産、高速輸送などにより軽工業が発展。
第二次産業革命では、ガソリンエンジン、電気モーターなど動力の革新により重工業が発展。
第三次産業革命では、コンピューターの開発、生産ラインに自動化(産業用ロボット)などのデジタル革命が進展。
そして、第四次産業革命では、「IoT(モノのインターネット)」に代表されるように、あらゆるモノや情報がインターネットを通じて繋がり、それらが互いにリアルタイムで情報をやり取りしつつ、人の指示を逐一受けずに判断・機能し、システム全体の効率を高めるとともに新たな製品・サービスを創出していくと言われていまる。
超スマート社会、Society5.0と呼ばれる社会である。
過去を振り返ってみると、Society1.0が狩猟社会、Society2.0が農耕社会、Society3.0が工業社会、Society4.0が情報社会、Society5.0が超スマート社会となる。
今後、一層進化するであろうAI(人口知能)により、2050年頃は、買い物はドローンによる宅配が中心になるかもしれない。
自動車もほとんどが自動運転になるだろうし、空飛ぶ車も登場しているだろう。
実体験とバーチャル体験の境も曖昧になり。国境の意味も今と変わっているかもしれない。
そのような時代を生きる皆には、どんな力が必要となるのだろうか。
まず、時代の変化に合わせて、様々な変化に積極的に向き合い、他者と協働して課題を解決していく力が必要になるだろう。
特に、グローバル化が進展することから、国籍や人種を問わず、多様性を受け入れ協力して課題を解決することが大切になる。
英語力もますます重要となるり、さらに、対話により結論を導き出していく力も必要となるはずである。
また、AIの苦手分野こそ人間の力が必要となるだろう。
AIの苦手なこととして、目的そのものを考えることが挙げられる。
AIに目的を与えれば、最短で最適解を導き出せるだろうが、目的そのものを考えるには、価値を見付け生み出す感性や好奇心、探求力などが必要となる。
それらはAIによって代替できない、人間の強みだと思う。
いずれにしても、新しい時代を生きる皆には、教えてもらったことを忠実に再現する力だけでは不十分で、与えられた課題を独創的な方法で解決する創造力や、課題そのものを自ら見付け改善していくような力が必ず必要になると思う。
皆が、変化の激しい25年後の世界でも活躍できるように、先生方と一緒に新しい時代に必要な力をしっかりと身に付けていこう。
初心忘るべからず(校長室より No.33)
先週、2月2日(金)に立志式を実施しました。
式中、「立志の決意」を堂々と発表する生徒たちの姿から、14年間の確かな成長を感じるともに、今後の更なる飛躍に期待が膨らみました。
私の式辞では、世阿弥の「花鏡」から「初心忘るべからず」の言葉を送りました。
主な内容は以下のとおりです。
「花鏡」には、「しかれば、当流に、万能一徳の一句あり。初心忘るべからず。」との一節があり、さらに「この句、三箇条の口伝あり。是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。」と続き、能の芸について初心時代の未熟さを忘れないよう戒めが示されている。
転じて現代では、「物事に慣れると慢心してしまいがちだが、最初の頃の志を忘れてはいけない」という意味で使われれる。
人は、物事のはじめには、強い「希望」や「目標」を持って出発するが、だんだんと月日が経つにつれて、初めの頃の熱い気持ちを忘れ、現実の甘い生活に妥協し、安易で楽な方に流されがちになる。
最初のうちは、自分の進むべき道からそれていることに気付くものだが、軌道修正を怠っているうちに、希望や理想から遠く離れてしまい、目指すべき道すら見失ってしまうことがある。
そのようなことにならないためにも「初心忘るべからず」の言葉を肝に銘じてもらいたい。
夢や目標を持ち、それを実行に移すときには、必ず多くの困難にぶつかるが、簡単に諦めてはいけない。
夢や目標の実現は、他人から与えられるものではなく、自ら努力して勝ち取るものだからである。
もし、くじけそうになったら、「立志の決意」を一生懸命考え堂々と発表したときの今日の熱い気持ち、「初心」を思い出し、自らを奮い立たせ、東中の心意気で頑張ってほしい。
保護者の皆様方には、生徒たちが立志の決意を実現できるよう、愛情と厳しさを持って見守り導いていただけますよう、お願いいたします。
私ども教職員も生徒たちの夢の実現を全力で支援して参りますので、今後とも、御支援、御協力のほどよろしくお願いいたします。
なお、立志記念講演では、隻腕のプロゴルファー小山田雅人氏から「 ないものを嘆くより、あるものに感謝したい」との言葉とともに、あきらめずに困難に立ち向かい夢を実現する大切さをお話しいただきました。学びの多い立志式となりました。