学校の様子

2018年5月の記事一覧

朝会


5月7日(月)朝会
(表彰)
真岡市スポーツ少年団バレーボール交流大会準優勝:大内西バレーボールクラブ
(校長講話)
二宮金次郎は、江戸時代の後期(1787年)、現在の神奈川県小田原市で、3人兄弟の農家の長男として生まれました。家も大きくたくさんの田畑があり、裕福でした。金次郎が5才のとき、暴風雨が関東地方を襲い、堤防が決壊して川が氾濫し、金次郎の家も田畑も流されました。その影響もあって、金次郎が14才のときに父が亡くなりました。一家の大黒柱となった金次郎は、薪をとったり、草鞋(わらじ)を作ったりして、生活費を稼ぎました。勉強好きの金次郎は、薪を背負いながら、勉強もしました。この姿を見て村人たちは、「農家の子供は、農民にしかなれないのに、この子は一生懸命勉強をしてるよ、アホじゃないか!」と言いいました。金次郎が16才のとき、母親も亡くなり、親戚の家で生活することになりました。親戚の家に行っても、自分の生まれた家や田畑をもとに戻すために、毎日コツコツと仕事をしました。夜は、行灯を使って勉強もしました。親戚の人に、「灯りに使う油がもったいないから勉強をするな」と言われたので、金次郎は、友達からアブラナの種をもらい、それを植えて育ったアブラナの種と行灯の油を交換してもらい、勉強をしました。3年間がんばった結果、20才で自分の生まれた家や田畑をとり戻すことができました。その話が、小田原藩主の耳にも入り、金次郎に藩の財政を立て直してもらおうと考えました。しかし、身分が違いすぎると、家臣に反対されたので、下野国桜町ある小田原家の分家の、農業の立て直しに金次郎を行かせました。桜町に行った金次郎は、とてもびっくりしました。昼間なのに働かないで、酒を飲んで遊んでいる農民が多かったからです。金次郎は、年貢を減らしたり、働く農民を表彰するなどして、少しずつ農民を働かせるようにしました。その結果、桜町が豊かになり、農民から信頼されるようになりました。ある日、金次郎がナスを食べたとき、夏なのに秋ナスの味がしたので、「冷夏になるかもしれないから、寒さに強いアワやヒエを作りなさい」と村人に言いました。これは、「天保の大飢饉」と言って、全国でたくさんの人が餓死をしましたが、桜町の人たちは、一人の餓死者も出さずにすみました。このことで、さらに桜町の農民から信頼され、金次郎に敬意を表して、「桜町」を「二宮町」と変えました。その後、小田原に戻り、小田原藩の財政も立て直すことができました。その活躍が、江戸幕府の耳にも入り、水野忠邦と一緒に「天保の改革」を行い、600以上の貧乏な村も救いました。

避難訓練(地震)、引渡訓練




5月2日(水)避難訓練(地震)、引渡訓練
震度5強の直下型地震が発生したことを想定して、訓練を行いました。今回は、防火扉をくぐる訓練も併せて行いました。子どもたちは、「お・か・し・も・ち」を意識して、真剣に取り組みました。
引渡訓練も、保護者の皆様方のご協力によりスムーズにできました。昨年度の反省を生かして、保護者の皆さまには車から降りていただき、直接お子さまをお渡しすることができました。ご協力ありがとうございました。