学校の様子

2019年3月の記事一覧

卒業式の練習

 

 

 

3月12日(火)業間

卒業生入場から退場まで、卒業式の一連の式の流れの練習をしました。「よびかけ」が、どの学年も大きな声でとてもよくできました。その後に、3月4日に終わらなかった、表彰の続きを行いました。

(表彰)

書初展芳賀地区展 優良賞

 櫻井諒河さん、野澤波さん、渡辺怜彩さん、福田奏音さん、野澤こころさん(4年)、渡辺翔彩さん、野澤龍芯さん、石塚汐夏さん、海老原陽菜さん

交通安全標語コンクール 優秀賞

 野澤龍芯さん、牛房妃夏さん

朝会

3月11日(月)「足尾鉱毒事件」
この事件は、足尾銅山で起こった、日本で初めての公害事件です。足尾銅山は、明治時代、全国の半分近く(5分の2)の銅を生産していた日本有数の銅山でした。しかし、銅の精製で発生する有毒ガスによって森林が枯れ、有害な廃棄物が流出したことで洪水が起こり、渡良瀬川流域の土地には植物がまったく生えなくなりました。死んだ子どももたくさんいました。そんな状態を知った田中正造は、国に「足尾銅山を閉山して欲しい」と何度も頼んだが、国はその頼みを無視し続けました。そこで正造は、死を覚悟して天皇に直訴しようと計画しましたが、途中で警官に取り押さえられてあえなく失敗しました。当時、天皇陛下への直訴は、重大な犯罪で死刑になることもありました。その後も、渡良瀬川はたびたび氾濫したので、国は、「谷中村」を水没させ、遊水池にすることで洪水だけは起きないように計画を立てました。このときも、正造は、村人と一緒になって、肥沃な土壌をもつ村の水没に反対したが、またしても失敗しました。数年後、正造は鉱毒事件を解決できないまま、病気で亡くなってしまいますが、そのとき正造は一文無しでした。自分の財産の全てを、鉱毒事件のために使ったからです。だから、葬式のときの参列者は、5万人もいたと言われています。正造が生きているときにできなった環境問題は、正造を慕っていた人たちに引き継がれ、現在、足尾の山は、植林などをして昔のきれいな山に戻りつつあります。

 

卒業式の練習

 

 

3月8日(金)業間

今日から、呼びかけの練習が始まりました。

読み聞かせ

3月8日(金)朝

司書の五月女先生が、4年生に読み聞かせをしました。

卒業を祝う会

 

 

 

 

 

3月7日(木)6校時

最初に、家庭科室で6年生が作ってくれたサンドイッチなどを食べながら楽しくおしゃべりをしました。次に、視聴覚室に移動して、チームワークのとれた演奏を聴いたり、ゲームをして楽しみました。最後に、心のこもったプレゼンををいただきました。ありがとうございました。