学校の様子

学校の様子

小瀧先生離任式

 

3月13日(水)

卒業式予行のあと、新任の稲見先生の指導教員として1年間、お世話になった小瀧先生の離任式を行いました。

「大内西小の子どもたちは、勉強や運動など、どんなことも一生懸命に行える、まさに『さいこうのこ』でした。これからも、笑顔を忘れず生活してください。」と、お褒めのことばをいただきました。

卒業式予行

  

  

  

  

  

 

3月13日(水)業間~3校時

卒業式の予行を行いました。17名の卒業生はもちろん、在校生もきちんとした態度で練習できました。 

シェイクアウト訓練

 

3月12日(火)昼休み

東日本大震災の日(昨日)に併せて訓練を行う予定でしたが、荒天のため延期しました。子どもたちがどんな時にも、「自分の命は自分で守る」ことができるようにするために、避難の放送があったときに、教師は指示をせず児童の行動を観察しています。今年度、2回目の訓練でしたが、子どもたちは前回よりもスムーズに避難できたようです。

卒業式の練習

 

 

 

3月12日(火)業間

卒業生入場から退場まで、卒業式の一連の式の流れの練習をしました。「よびかけ」が、どの学年も大きな声でとてもよくできました。その後に、3月4日に終わらなかった、表彰の続きを行いました。

(表彰)

書初展芳賀地区展 優良賞

 櫻井諒河さん、野澤波さん、渡辺怜彩さん、福田奏音さん、野澤こころさん(4年)、渡辺翔彩さん、野澤龍芯さん、石塚汐夏さん、海老原陽菜さん

交通安全標語コンクール 優秀賞

 野澤龍芯さん、牛房妃夏さん

朝会

3月11日(月)「足尾鉱毒事件」
この事件は、足尾銅山で起こった、日本で初めての公害事件です。足尾銅山は、明治時代、全国の半分近く(5分の2)の銅を生産していた日本有数の銅山でした。しかし、銅の精製で発生する有毒ガスによって森林が枯れ、有害な廃棄物が流出したことで洪水が起こり、渡良瀬川流域の土地には植物がまったく生えなくなりました。死んだ子どももたくさんいました。そんな状態を知った田中正造は、国に「足尾銅山を閉山して欲しい」と何度も頼んだが、国はその頼みを無視し続けました。そこで正造は、死を覚悟して天皇に直訴しようと計画しましたが、途中で警官に取り押さえられてあえなく失敗しました。当時、天皇陛下への直訴は、重大な犯罪で死刑になることもありました。その後も、渡良瀬川はたびたび氾濫したので、国は、「谷中村」を水没させ、遊水池にすることで洪水だけは起きないように計画を立てました。このときも、正造は、村人と一緒になって、肥沃な土壌をもつ村の水没に反対したが、またしても失敗しました。数年後、正造は鉱毒事件を解決できないまま、病気で亡くなってしまいますが、そのとき正造は一文無しでした。自分の財産の全てを、鉱毒事件のために使ったからです。だから、葬式のときの参列者は、5万人もいたと言われています。正造が生きているときにできなった環境問題は、正造を慕っていた人たちに引き継がれ、現在、足尾の山は、植林などをして昔のきれいな山に戻りつつあります。