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学校の様子
朝会
5月10日(木)
スクールカウンセラーの合田恵子(ごうだけいこ)先生の紹介をしました。お子さまのことなどについて、スクールカウンセラーとの相談を希望される場合やスクールカウンセラーに関するご質問等は、養護教諭の岩渕までご連絡ください。
避難訓練(不審者)
5月9日(水)2校時
学校内に不審者が侵入したことを想定して、児童全員が安全に素早く避難するための訓練を行いました。体育館に避難したあと、スクールサポーターの平野さんから「いかのおすし」についての話を聞きました。不審者が学校に侵入することはほとんどないとは思いますが、登下校中や学校が休みのときなどには不審者に遭遇する可能性があります。真岡市内などでも声かけ事案があったり、全国に目を向けるといろいろなところで、連れ去り事件などが発生しています。今日教えてもらったことを忘ず、生活することを心がけてください。
共遊(計画)
5月8日(火)
業間に、縦割り共遊の計画をたてました。
朝会
5月7日(月)朝会
(表彰)
真岡市スポーツ少年団バレーボール交流大会準優勝:大内西バレーボールクラブ
(校長講話)
二宮金次郎は、江戸時代の後期(1787年)、現在の神奈川県小田原市で、3人兄弟の農家の長男として生まれました。家も大きくたくさんの田畑があり、裕福でした。金次郎が5才のとき、暴風雨が関東地方を襲い、堤防が決壊して川が氾濫し、金次郎の家も田畑も流されました。その影響もあって、金次郎が14才のときに父が亡くなりました。一家の大黒柱となった金次郎は、薪をとったり、草鞋(わらじ)を作ったりして、生活費を稼ぎました。勉強好きの金次郎は、薪を背負いながら、勉強もしました。この姿を見て村人たちは、「農家の子供は、農民にしかなれないのに、この子は一生懸命勉強をしてるよ、アホじゃないか!」と言いいました。金次郎が16才のとき、母親も亡くなり、親戚の家で生活することになりました。親戚の家に行っても、自分の生まれた家や田畑をもとに戻すために、毎日コツコツと仕事をしました。夜は、行灯を使って勉強もしました。親戚の人に、「灯りに使う油がもったいないから勉強をするな」と言われたので、金次郎は、友達からアブラナの種をもらい、それを植えて育ったアブラナの種と行灯の油を交換してもらい、勉強をしました。3年間がんばった結果、20才で自分の生まれた家や田畑をとり戻すことができました。その話が、小田原藩主の耳にも入り、金次郎に藩の財政を立て直してもらおうと考えました。しかし、身分が違いすぎると、家臣に反対されたので、下野国桜町ある小田原家の分家の、農業の立て直しに金次郎を行かせました。桜町に行った金次郎は、とてもびっくりしました。昼間なのに働かないで、酒を飲んで遊んでいる農民が多かったからです。金次郎は、年貢を減らしたり、働く農民を表彰するなどして、少しずつ農民を働かせるようにしました。その結果、桜町が豊かになり、農民から信頼されるようになりました。ある日、金次郎がナスを食べたとき、夏なのに秋ナスの味がしたので、「冷夏になるかもしれないから、寒さに強いアワやヒエを作りなさい」と村人に言いました。これは、「天保の大飢饉」と言って、全国でたくさんの人が餓死をしましたが、桜町の人たちは、一人の餓死者も出さずにすみました。このことで、さらに桜町の農民から信頼され、金次郎に敬意を表して、「桜町」を「二宮町」と変えました。その後、小田原に戻り、小田原藩の財政も立て直すことができました。その活躍が、江戸幕府の耳にも入り、水野忠邦と一緒に「天保の改革」を行い、600以上の貧乏な村も救いました。
避難訓練(地震)、引渡訓練
5月2日(水)避難訓練(地震)、引渡訓練
震度5強の直下型地震が発生したことを想定して、訓練を行いました。今回は、防火扉をくぐる訓練も併せて行いました。子どもたちは、「お・か・し・も・ち」を意識して、真剣に取り組みました。
引渡訓練も、保護者の皆様方のご協力によりスムーズにできました。昨年度の反省を生かして、保護者の皆さまには車から降りていただき、直接お子さまをお渡しすることができました。ご協力ありがとうございました。